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| 天王山久修園院 |
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●行基四十九院の一つ、久修園院
大僧正行基を慕った人びとは、各地に仏教の道場を作りました。その数は畿内だけでも四十九個所にものぼり、行基四十九院とよばれています。その一つが天王山久修園院です。725年に創建された頃は七堂伽藍の大きな寺でしたが、大坂冬の陣で西軍の敗走者が放火し、全焼したといいます。この寺を延宝7年(1679)に再興したのが宗覚律師でした。 |
●文武に秀でた宗覚が久修園院を再興
幼い頃から秀才の誉れ高かった宗覚は、久修園院再興にあたって、精力的に活動するとともに、天文学、地理、芸術の分野にも多彩な功績を残しました。とりわけ力を入れたのが、空海が唐から持ち帰った「金剛界及胎蔵界曼陀羅図」の修復模写でした。この時模写された曼陀羅図は元禄6年(1693)に開眼供養ののち、京都の東寺に納められ、現在も東寺の仏教行事で貴重な曼陀羅図として使用されています。
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| 宗覚律師の木像 |
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| 地球儀 |
天球儀 |
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●地球儀や天球儀も製作
宗覚は鎖国という閉ざされた社会の中で、世界や宇宙への関心も高かったようです。中国の地図「大明省図」を描き、地球儀も製作。この地球儀の中国には万里の長城も描かれています。さらには直径1mの銅製天球儀も製作するなど、天文学や地理学だけでなく、ものづくりにも精通していたようです。 |
●彫刻や音楽にも詳しいアーチスト
宗覚が残した彫刻で有名なのが愛染明王座像。8年前に亡くなった母を慕って製作したといわれ、天王山久修園院は西国愛染霊場12番札所ともなっています。そのほかにも琴や笙を自作自演するなど音楽の才能もあったとか。どこかレオナルド・ダ・ビンチを思わせる仏教学、自然科学、芸術に秀でたマルチタレントが、江戸時代に樟葉の地で活躍をしていました。 |
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| 愛染明王座像 |
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