大阪八百八橋

水の都・大阪。
 江戸時代、大阪は、「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで、「浪華の八百八橋」と呼ばれていました。これらの言葉は、本当に808ヶ所の寺や橋があるではなく、それほどの勢いで寺や橋が立ち並んでいたことの比喩的表現です。

 となれば、大阪と江戸との橋の数を比べれば、当然大阪の方が多いはずですが、実際の数は江戸の約350橋に対して、大阪には約200橋ほどしか架けられていませんでした。
 では、なぜ大阪が八百八橋の町と呼ばれていたのでしょうか。

 その答えは、誰が橋を架けたのかにあります。
 江戸の橋は、約350ある橋の半分が公儀橋と呼ばれる幕府が架けた橋でした。一方の大阪では、公儀橋は「天神橋」「高麗橋」などのわずかに12橋。残りの橋は、全て町人が生活や商売のために架けた「町橋」でした。町橋に対する幕府からの援助はなく、町人たちは自腹を切って橋を架けました。
 自腹を切ってでも橋を架けた町人たちのこの勢いが、「浪華の八百八橋」と呼ばれる所以です。

元禄の橋と明治の橋(明治18年)


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