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六甲山の災害史

六甲山はこれまでに何度も災害に見舞われてきました。なかでも、大きな被害を出した昭和13年と昭和42年の災害は、今なお歴史にその爪あとを残しています。また、記憶に新しいところでは、平成7年に阪神・淡路大震災がおこっています。震度7という大地震によって、六甲山は大きなダメージを受けました。

六甲山地の災害史年表

〜安土桃山時代 | 江戸時代 | 明治〜

〜安土桃山時代

年号(西暦) 記事
延歴18年(799) 4月9日 山城、河内、摂津等大洪水有り。(日本後記)
永和3年(836) 5月18日 朝廷より大輪田泊に派遣せる使者通行あたわず。(続日本後記)
永延2年(988) 8月13日 諸国大洪水。(日本記略、皇年代略記)
乾 元年(1302) 7月8日 畿内大洪水有り。(興福寺年代記、皇年代略記)
文明7年(1475) 8月6日 尼崎、兵庫、須磨、明石間に大洪水。(続応仁後記)
天文13年(1557) 7月9日 尼崎より明石の浦々まで高塩さしあげ
・・・文明後80年目・・・(続応仁後記)
弘治3年(1544) 8月6日 畿内大洪水有り。(皇年代略記)

江戸時代

年号(西暦) 記事
慶長13年(1608) 2月 畿内大洪水。8月又洪水有り。(日本災異志、考亮記)
慶長19年(1614) 6月 畿内洪水有り。(日本災異志)
寛永14年(1637) 6月 兵庫大風雨有り。(網尾新九郎記)
万治2年(1659) 5月22日 大洪水有り寺院土中に埋まる。(須磨寺旧記)
延宝2年(1674) 4月11日 畿内洪水有り。(日本災異志)
延宝4年(1676) 5月8日 畿内洪水有り。(玉露叢)
宝永3年(1706) 6月 脇浜海岸波浪により流失す。(脇浜村記録)
正徳2年(1712) 7月2日 武庫川から生田川まで大洪水。(生田川境界争論裁許状)
亨保13年(1728) 7月8日 畿内大風雨洪水有り。(風也集)
天文5年(1740) 生田川大洪水。(神戸村留日記)
寛保2年(1742) 6月3日 大風雨。(神戸村留日記)
五毛村堤防決壊、山崩れ。(五毛村記録)
宝暦4年(1754) 妙法寺川堤防決壊。(大手村、須磨寺書上)
宝暦6年(1756) 5月29日 生田川満水、水防を行う。(神戸村留日記)
明和5年(1768) 5月27日 畿内洪水。(皇年代略畿)、脇浜村洪水。(脇浜村記録)
安永3年(1774) 6月 脇浜村に波浪侵入。(脇浜村記録)
安永8年(1779) 7月12日 畿内大風雨洪水。7月23日また洪水。(続皇年代略記)
天明5年(1785) 8月12日 畿内大洪水有り。(続王代一覧、日本野史)
寛政3年(1791) 4月 波浪脇浜村に侵入。(脇浜村記録)
寛政12年(1800) 7月25日 湊川出水につき人足500人割当、水防す。(兵庫総会所日記)
文化12年(1815) 6月下旬 畿内大洪水有り。(風也集)
文化13年(1816) 8月3日 畿内大洪水有り。(泰平年表)
文政3年(1820) 5月23日 大雨のため長田天神山名倉池決壊。(長田村記録)
文政4年(1821) 4月8日 畿内大洪水有り。(泰平年表)
天保9年(1829) 4月26日 湊川満水川越人足にて水防。(安田惣兵衛文書)
天保14年(1843) 3月19日 湊川の出水かって見ざるほど。(広瀬旭荘日間鎖事備志)
弘化2年(1845) 12月 湊川切所普請する。日雇ちん66匁。(三方立会勘定所)
嘉永7年(1854) 11月4日 朝辰之刻、古今希也、大地震高汐打ちかけ。(瓜屋忠七文書)
安政4年(1857) 5月22日まで16日雨続く。(西灘村史)
7月朔日 畿内洪水。(嘉永明治間録)
安政7年(1860) 7月11日 西風強吹、大時化、浜石垣破損。(瓜屋忠七文書)
慶応元年(1865) 8月15日 灘川破堤7人ほど死亡。(西灘村史)
天王川破堤。(奥平野村記録)
慶応2年(1866) 7月 天王川西堤防決壊。(奥平野村記録)
8月16日 大風雨洪水。(五毛村記録)

明治時代〜

年号(西暦) 記事
明治元年(1868) 11月 天王寺川堤防決壊。(神戸市水害法)
明治3年(1870) 9月18日 午後5時烈風猛雨被害多し。(神戸開港30年史)
明治6年(1873) 7月13日 日風波大いに起こり被害有り。(神戸開港30年史)
10月2日〜3日 大雨生田川川床破損堤防決壊。(神戸開港30年史)
明治7年(1874) 7月28日〜8月3日 生田川、湊川堤防決壊。(神戸水害史)
明治10年(1877) 5月16日〜18日 大出水。(神戸市史)
明治29年(1896) 6月より連続雨。
9月30日 湊川破堤。(神戸開港30年史)
明治36年(1903) 7月7日〜9日 宇治川堤防破損、使者4名。(県統計書)
明治38年(1905) 8月26日 時間最大73.3mm、20分最大39mm、浸水1万余戸。
明治43年(1910) 9月6日〜8日 総雨量251.8mm、大水害。
大正元年(1912) 9月23日 四国東端から大阪に台風進む。総雨量159.7mm、大風水害。
大正13年(1924) 9月11日〜12日 中型台風、死者10名、浸水1,495戸。
昭和9年(1934) 9月21日 室戸台風 1時間最大26.5mm、床上2,547戸、床下7,919戸、死者6名。
昭和13年(1938) 7月3日〜5日 阪神大水害
3日49.6mm、4日141.8mm、5日270.4mm(日界22時)計461.8mm、1時間最大60.8mm(5日)、住家流失1,497戸、埋没966戸、全壊2,658戸、半壊7,879戸、床上31,643戸、床下75,252戸、死者671名、行方不明24名、堤防決壊14、道路決壊69、橋梁流失57。
昭和14年(1939) 8月1日 1時間最大87.7mm、浸水14,165戸、死者2名、堤防決壊23。
昭和20年(1945) 10月8日〜11日 阿久根台風 1時間最大49.6mm(9日)、河川決壊破損87、道路決壊破損141、橋梁被害61。
昭和21年(1946) 6月18日〜19日 河川決壊破損53、道路決壊破損46、橋梁流失破損12。
昭和25年(1950) 9月3日 ジェーン台風 1〜3日総雨量161mm、家屋全半壊1,067戸、流失39戸、床上58戸、床下2,682戸、堤防決壊44、道路破損70。
昭和28年(1953) 6月7日 台風2号、浸水673戸、死者4名、堤防決壊37、道路破損30。
9月25日 台風13号、家屋全半壊689戸、浸水1,047戸。
昭和36年(1961) 6月24日〜27日
24日76.8mm、25日195.2mm、26日127.7mm、27日72.4mm、計472.1mm、1時間最大44.7mm(27日)、家屋流失11戸、全壊140戸、半壊263戸、床上3,960戸、床下29,376戸、死者28名、行方不明3名、河川被害973、道路被害580、橋梁流失62。
9月16日 第二室戸台風 14〜16日総雨量136.0mm、家屋全半壊流失2,555戸、床上8,801戸、床下36,034戸、死者10名、河川被害1,756、砂防98、道路1,044、橋梁121、緊急砂防12。 
昭和40年(1965) 9月10日 台風23号、総雨量118.6mm、家屋全半壊1,765戸、床上2,603戸、床下1,262戸。
9月17日 台風24号、13?17日総雨量336mm、家屋全半壊176戸、床上102戸。
昭和42年(1967) 7月9日 7月豪雨
6日7.7mm、7日28.6mm、8日34.1mm、9日301.3mm(日界9時)計371.7mm、1時間最大75.8mm(9日)、家屋全壊367戸、半壊390戸、床上9,187戸、床下49,650戸、死者90名、行方不明8名、河川決壊29、溢水氾濫74、橋梁流失37、山くずれ141、がけくずれ168、道路崩壊162。
平成7年(1995) 1月17日 阪神・淡路大震災
午前5時46分、震度M7.2、気温3℃、風速3m/秒、垂直運動エネルギー833cm²/秒、水平運動エネルギー530cm²/秒、25秒間持続、総死者数6,434人(2005年12月20日兵庫県集計)、全壊106,247棟、半壊130,334棟、部分崩壊多数、火災全焼7,050棟、半焼424棟、神戸市内の焼失面積819,223m²

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土砂に埋まった列車
現JR住吉駅に立ち往生し、土砂に埋まった列車

神戸駅前
ガレキや流木の散乱する現JR神戸駅前

まちが土砂で埋った昭和13年7月の阪神大水害

昭和13年7月3日、神戸を中心にバケツをひっくり返したような梅雨のおわりの豪雨が発生。4日、5日とはげしい雨は降り続き、総雨量は461.8mmに達しました。これは神戸の1年間の総降雨量の約3分の1にあたり、これだけの量の雨が、たった2日半の間に集中して降ったことになります。

六甲山の南側斜面ではいたる所で山くずれがおこり、土石流となってまちを直撃。神戸周辺の河川は大氾濫し、まちには巨大な岩石や石、流木、土砂があふれました。文豪谷崎潤一郎は、当時のこの災害ようすを、その代表的名作『細雪』の中で生々しく描き出しているほどです。

被災面積はポートアイランドの約5倍にもおよぶ2140ha。死者および行方不明者695人、被災家屋150,973戸という大惨事となりました。

⇒ 昭和13年 阪神大水害の詳細へ   


須磨区一ノ谷付近
須磨区一ノ谷付近

神戸市付近に上陸、昭和25年のジェーン台風

昭和25年9月3日午後1時頃神戸市付近に上陸したジェーン台風は、兵庫県下に死者41名、負傷者904名などの被害をもたらしました。


水害写真

あふれ出た濁流
宇治川が氾濫、濁流があふれ出た(神戸市中央区)

猛烈な雨が人々を直撃、昭和42年7月の大水害

昭和42年7月9日、台風7号くずれの低気圧が、西日本にとどまっていた梅雨前線を刺激。午後には強い雨が降り出し、六甲地区では、最大60分間雨量75.8mm、総雨量379.4mmを記録。六甲山のいたる所で山くずれ、がけくずれが数多く発生し、河川は氾濫。死者および行方不明者98人、被災家屋38,305戸という大きな被害を出しました。

⇒ 昭和42年 7月豪雨災害の詳細へ   


しかし、42年災害では、砂防工事の効果により、13年災害と比較すると、土砂流出量は減少しています。⇒ 昭和13年と昭和42年の六甲山系災害比較


西宮浜脇町付近の落橋現場
阪神高速道路の落橋(西宮浜脇町付近)

鶴甲団地上流の山腹崩壊
鶴甲団地上流の山腹崩壊(左:平成7年3月 右:平成7年8月)

日本で初の震度7を記録、平成7年1月の阪神・淡路大震災

平成7年1月17日、明石海峡を震源とする活断層型の直下型地震が阪神・淡路地方を襲いました。マグニチュード7.3、わが国ではじめて震度7を記録した未曾有の大地震は、死者6398人、行方不明3人、負傷者40,082人(平成10年12月25日現在)という大きな被害をもたらしました。

まちでは、鉄筋コンクリートや木造の建物が破壊され、火災が同時に数多く発生。高速道路や高架・地下鉄道、港湾施設にも大きな被害が出ました。

六甲山でも、多数の山くずれやがけくずれ、大小さまざまな地割れが発生し、土砂災害の危険性が高まりました。

また、同年7月の豪雨などで新たな山腹崩壊や崩壊場所の拡大がおこるなど、地震の影響による土砂災害の危険は長く続きました。

⇒ 平成7年 阪神・淡路大震災の詳細へ


大きな災害は30年に一度やってくる?

六甲風水害
西 暦 災 害 次の災害
までの年数
652
連雨・洪水
57
709
霖(りん)雨
44
753
大風・高潮
46
799
洪 水
18
817
大風・高潮
19
836
暴風雨・洪水
639
1475
洪 水
29
1504
大洪水
53
1557
暴風雨
51
1608
住吉川大洪水
51
1659
須磨大洪水
53
1712
大洪水
28
1740
生田川大洪水
42
1782
住吉川大洪水
31
1813
住吉川氾濫
30
1843
湊川出水
28
1871
生田川出水
34
1905
大洪水
33
1938
阪神大水害
29
1967
七月豪雨
花崗岩が風化した砂

六甲山にはたくさんの断層が走っていて、山を形成している花崗岩の内部まで非常に細かい亀裂ができています。この亀裂に雨水がしみこんで花崗岩が風化し、「マサ土」と呼ばれる砂のようにくずれやすい土となって、山の斜面に蓄積されます。

このマサ土は、10年、20年、30年と年月がたつにつれてその量が増え、そこに大雨が降れば蓄積されたマサ土は一気にくずれ出して土石流となり下流に流れ出します。

土砂災害がおこる六甲山では、その発生に一定の周期があると考えられています。日本書紀に記録されている「連雨・洪水」(652年)から現在までの災害の記録のうち、データが整っている15世紀からあとのおもな水害を見てみると、16、17世紀は50年周期、18、19世紀からは30年周期で大きな災害が発生していることがわかります。

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