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瀬田の紅蜆

瀬田の紅蜆

膳所城の初代城主である戸田佐門一西は、「馬上で天下を取る者はいるが、愛民で天下を治める者は少ない」と自ら反省し、特に民政に力を入れました。

貝殻の黒い従来の蜆はあまりよくなく、重要水産物にならないため、戸田佐門一西は前任地の武蔵国高郡鯨井(現在の埼玉県川越市)の紅蜆を苦心して移植し、重要水産物のひとつとしました。漁民は大いに喜び、一同「佐門しじみ」と呼び、藩主の善政を称え、感謝しました。これが有名な瀬田の紅蜆です。瀬田川には多くの蜆掻き舟が浮かび、湖畔には蜆会社が建設されました。これが今の瀬田町漁業組合です。今も漁業組合には、明治、大正時代に皇室へ紅蜆が献上された証明等が残されています。
(戸田佐門一西はその功績をたたえられ、大正天皇が御来県の折、それまでの従五位から一躍、従三位を授けられた。)

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