野洲川の歴史

野洲川〜歴史1
野洲川は、現在の河道をつくる以前は2つに分かれていました。野洲町竹生あたりから分かれた南流と北流は、両方の川幅を合わせても上流より狭く、曲がりくねり、河床の高い天井川でした。そのため、大雨で水が増えると流れてきた水が直接堤防にあたり、どうしても切れやすい状態だったのです。野洲川の南流と北流がほぼ固定したのは14世紀のことですが、それ以来記録に残るような大水害が約10年に1回の割合で発生し、沿川の人々を苦しめました。
昭和28年の洪水(洲本交差点) 昭和40年の洪水(美崎/救助に向かう自衛隊員) 昭和40年の洪水(美崎/泥海となった田畑)
昭和28年の洪水(洲本交差点) 昭和40年の洪水
(美崎/救助に向かう自衛隊員)
昭和40年の洪水
(美崎/泥海となった田畑)
野洲川〜歴史2
洪水のたびに苦しんできた野洲川下流域の人々は、長い間をかけて堤防を丈夫なものにしてきました。しかし、どんなに堤防を手直ししても南北の川の河床は高くなるばかりで、ひとたび洪水がおきると災害が増々大きくなる恐れがありました。そこで昭和33年、野洲川改修が国の大きな事業として取り組まれることになりました。その方法は南北の川を手直しするものではなく、南北に分かれるあたりからほぼ直線に幅約330mの平地化された新しい河川を建設するというものでした。その新しい野洲川の建設には着工から完成まで8年という歳月をかけ、昭和54年6月2日ついに通水しました。
昭和35年の野洲川 昭和50年の野洲川 現在の野洲川
昭和35年の野洲川 昭和50年の野洲川 現在の野洲川