由良川流域には最上流の三国岳(959.0m)を最高峰に頂く、幾多の尾根が連なります。流域の外周で名前をもつ山は60以上あり、流域内にも上流の中心部にある長老ケ岳(916.9m)、中流の親不知(604.6m)や鬼ケ城(544m)をはじめ大小の山々があります。下流右岸にも三岳山(839.2m)や大江山(832.5m)などの高山がそびえます。
三つの国や郡の境に位置する三国岳などの山が6山を数え、「富士」の名を付けて地元で親しまれている三角状の山もいくつかあります。
由良川と丹波山地は何十万年という長い年月をかけて形成されるあいだに山の形や川筋はたびたび変わりました。流域の分水界のうち、平坦地のそれは6ヶ所あり、川の流れが一様でなかったことを物語っています。流域の上流・下流を問わず、大小の滝がたくさんあります。自然池はほとんど見られず、人工のため池が多く見られます。山麓の各所に昔から知られた名水が沸き出しており、温泉(鉱泉)も8ヶ所ほどあります。
谷の所々では奇岩も見られ、中にはポットホールが段丘面上に取り残され、地元の伝承の素材となっているものもあります。
由良川から蒸発する水分は、盆地地形のため風が穏やかなことなどもあって、流域に霧をよく発生させます。また高山のいくつかは雲が低くて厚く、たなびく雲海の展望にすぐれています。
この地域は、由良川最上流の美山町芦生や下流の大江山周辺の原生林に稀少動植物が見られるほか、川にはアユ、サケ、イトヨなどの日本海と行き来する降海型の魚がいます。また、オヤニラミなどのように、この地が瀬戸内海に注ぐ河川の流域であったことを裏付ける魚も棲んでいます。
スギ、カツラ、トチ、ケヤキなど、長い歳月にわたる厳かな営みを伝える古木・巨木が、山中や社寺などに数多く見られます。
古道は、道筋が付けにくく、危険の多い川沿いよりも山の尾根を越えて発達しました。流域をふちどる尾根、流域内の尾根にはそれぞれ名のある峠を70以上数えることができます。それらの峠のいくつかは現在、車道に変わり、あるものは近くをトンネルで抜けています。
由良川を渡るのは橋よりも舟で行き来するのがふつうでした。かつての渡船場が30近く知られており、現在はその多くに橋が架けられています。これらの橋には吊り橋のほか、増水時に水没する潜り橋が少くとも9本見られます。車の利用が普及する前は、由良川の河口と中流を結ぶ水運が発達していました。由良川沿いの「津」のつく地名は、かつての湊であったことを示しています。
由良川は水の流れや舟の通りを円滑にするため、あるいはまちづくりのためにこれまでに何カ所かで流路の改修が行われています。また、沿川の田畑を潤すために本川・支流の各所に堰を設け、水路を引いています。さらに、水量の乏しい所では大小無数のため池が築かれています。由良川の落差を利用してダム式や水路式の発電所が6ヶ所設置されています。
流域の集落それぞれに神社が鎮座していますが、その中には祭神の由来や川の鎮めなど、由良川の流れと関わりの深い神社がいくつかあります。神社の多くにはあつい信仰のもとに特色ある祭が伝承されており、季節に彩りを添えています。また、この地は酒呑童子、山椒太夫、浦島太郎のように全国的に知られた物語伝説の舞台ともなっています。
流域には良田が多く、古来よりたびたび宮廷での大嘗祭に米を献上しています。米のほか、マツタケ、栗、黒豆、大納言小豆、茶、日本酒、アユなど、由良川に注ぐ水と大地が育む産物に恵まれています。また、流域の山間部には多種の鉱物資源を産出し、鉄を製錬するタタラもありましたが、現在では鉱山の多くが閉山されています。
由良川やその支流沿いの台地には旧石器時代から人々が暮らしており、縄文時代、弥生時代を経て中流域には特色のある古墳が数多く残っています。