戸奈瀬の岩盤開削(綾部市) 幕府による
水運開発事業
文政13年(1830年)、戸奈瀬渓谷の岩盤を削り取る大工事が行われています。由良川支流・高屋川の丹波町下山黒瀬まで舟を運行できるようにする工事で、岩の上に油をかけて火をつけ、熱で岩をもろくして削り取ったといいます。毎日150人の人夫を使い、3年かかって完成しました。現在もこの工事の痕跡を河床に見ることができます。
光秀の付け替え(福知山市) 明智光秀の
福知山城下づくり
天正8年(1580年)、丹波地方の諸豪族を平定した明智光秀は、織田信長から丹波国をあてがわれました。横山氏の城を修築して福知山城と名付け、城下町の造成に取りかかりました。由良川沿いに大堤防を築いて河道を付け替え、土地を開いたと伝えられています。
和久川の付け替え(福知山市) 丘陵のあいだを通水
福知山市西部を流れる現在の和久川は、岩井からまっすぐに北東に流れ、上荒河を通り抜けていますが、江戸中期までは横岡の南を迂回して東へ流れていたのを、置山の鞍部を掘り割って水路をもうけたと伝えられています。
和江岬の開削(舞鶴市) 細川忠興による河道拡幅
慶長4年(1599年)の田辺城主・細川忠興による河道開削工事です。
由良川にせり出していた山脚(由良ヶ岳の支脈)を開削しましたが、堅くて削れなかった岬部分は瀬戸島として残りました。
下流川中島の除去(舞鶴市) 今はなき瀬戸島
明治40年(1907)に大水害があり、大正元年(1912)から翌年にかけて細川忠興が取り残した瀬戸島を削り取る工事が行われました。工事の完成を記念して現地に石碑が建てられています。さらに昭和38年(1963)から40年に完全に取り除かれました。