(いわ)うがつ
  戸奈瀬(となせ)のそこ底(そこ)
    京(きょう)めざし
綾部市戸奈瀬町
江戸時代、由良川と保津川の舟運使い、由良川河口の由良湊と京都を結ぶ大量輸送計画が相次いだ。幕府は、綾部から黒瀬村(丹波町下山黒瀬)まで舟で遡上できるように、天保元年(1830)から3ヶ年かけて、綾部市戸奈瀬町井坪の岩盤を削り取る工事を行った。井坪滝や弁天岩などの渓谷美で知られた付近の様子は、大正13年(1924)の新由良川発電所の建設によって一変した。戸奈瀬ダム(由良川ダム)の下流には現在も堀川とよぶ掘削あとが残っている。
魯山人(ろさんじん)
   生(い)けて運(はこ)びし
     和知(わち)のアユ
和知町ほか
由良川のアユは秋に上流から河口付近に下り産卵し、稚魚は日本海の沿岸でプランクトンを食べ冬を過ごす。翌年の春から初夏にかけ、群れをつくって遡上する。かつて和知町は京都府内屈指のアユ産地として知られた。陶芸家であり、料理道を極めた北大路魯山人(1883〜1959)は和知のアユを賞賛し、彼の経営していた東京の料亭まで生きたまま運ばせ客に供したという。現在、アユの遡上は綾部市の戸奈瀬ダム(由良川ダム)までで、放流アユが漁獲の対象となっている。
はるばると
  大江(おおえ)の山(やま)
    鬼退治(おにたいじ)
大江町ほか
大江町・福知山市・加悦町の境界にある大江山(別名・千丈ヶ岳、標高832.5m)には3種類の鬼伝説が伝わる。源頼光が酒呑童子を退治する話、麻呂子親王がえいこ英胡・かるあし軽足・つち土くま熊を退治する話、ひこ日子いますのきみ坐王が土蜘蛛を退治する話である。なかでも頼光の鬼退治については、由良川流域の各地に伝承地があり、神社の祭礼芸能にも退治の成就祝いを起源と伝えるものがある。酒呑童子については、山の神、異国の漂流者、修験者、製鉄の民などをその正体とする説がある。

(にじ)かける
   七橋(ななはし)ならべて
     大野(おおの)ダム

美山町
美山町樫原にある由良川上流のダム。由良川の洪水調節と発電を目的とする。コンクリート堤の高さ61.4m、堤頂長305mの重力式コンクリート構造。最大出力11,000kW。第二次世界大戦中、舞鶴の海軍施設への送電を目的に計画されていたものが、昭和28年(1953)の台風13号による大被害がきっかけとなって治水中心のダム計画として復活し、昭和32年に着工、昭和36年に完成した。ダム湖の虹の湖には彩色された7つの橋が架かる。