ほの暗(ぐら)
   美山(みやま)の森(もり)
     芦生杉(あしゅうすぎ)
美山町芦生ほか
本州日本海側の山地に自生するスギの変種。大雪でも枝が折れずに垂れ下がる。着地した部分から地表を這って根を下ろし(伏条枝)、幹を再成する。ウラスギともいい、昔から再成力を利用して挿し木苗で容易に増殖された。用材として太平洋側の山地に分布するスギよりも強靱であるという。京都大学の研究林のある美山町芦生で発見されたのでこの名がある。かつては台杉(スギの台木、株杉)育てによって屋根の垂木が生産された。
辺迫(へりせま)
   たゆたう流(なが)
     堤上(つつみあ)
舞鶴市桑飼下
福知山から下流の由良川は、緩い蛇行をくり返し、蛇行の凹面に沿って自然堤防となっている。自然堤防は、洪水時に河川が運ぶ砂やシルトが流路沿い、または周辺に堆積した微高地である。舞鶴市桑飼下の自然堤防は幅が約250m、長さが4kmを越える規模である。ここには縄文時代から平安時代にかけての遺物・住居跡が発見され、明治40年の水害までは約66戸の住宅があった。由良川下流域では、洪水の危険はあるものの、自然堤防以外に集落の適地に恵まれなかった。
(とどろ)きて
   水(みず)をはき出(だ)
     モミの下(した)
三和町菟原下
三和町菟原下の鹿倉山(標高547.8m)の中腹、約270mの地点に樹齢400年といわれるモミの巨木があり、この木の根元から地鳴りが轟くように、大量の清水、轟水(轟の水)が湧いている。江戸時代、水不足に苦しんでいた地元民が神のお告げにより掘り当てたとされ、以来この水を水源とする轟水路が開削され、多くの田畑を潤すとともに、昭和37年(1962)からは簡易水道の水源として利用されている。根元には轟水満宮の祠が祀られている。「京都の自然200選」の一つ。

千舟行(ちふねゆ)
   由良(ゆら)の流(なが)れに
     荷(に)を運(はこ)

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由良川には船着き場を意味する「津」や「船渡」の地名が多い。舟運が本格化するのは、寛文12年(1672)の日本海航路の開発以後のことである。大坂や北陸などから千石船が河口の由良や神崎の湊に着くと、有路までは河口の比較的大型の船が遡上し、そこからは川底が浅くなるので喫水の浅い平底小型の高瀬舟に積み替えて福知山城下まで運ばれた。近代になっても汽船、プロペラ船など、手段を変えながら舟運は続いたが、鉄道や道路の開通にともない次第に衰退した。