(やま)つづく
  丹波(たんば)の国(くに)
    谷刻(たにきざ)
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由良川流域の地形は、定高性(尾根の高さが揃っていること)の丹波高原を主体とし、その中で中流域に位置する福知山盆地を境に、上流域の山地と下流域の山地に分けられる。上流域の山地は谷が深く狭く、和知町安栖里周辺には四段の河岸段丘が続く。中流域の福知山盆地には洪積台地や河岸段丘、扇状地などが見られる。下流域には2〜300mの谷底平野が見られるものの峡谷の様相を呈し、西岸には大江山が突出している。中・下流域の河岸には自然堤防が発達している。

(まぼろし)
  大(おお)トチ残(のこ)
    君尾山(きみおさん)

綾部市睦寄町
由良川上流域の支流、上林川の上流、綾部市睦寄町の君尾山(標高581.8m)の山域にあるトチノキの大木がある。幹周10.4m、樹高23m以上。樹齢1〜2千年といわれ、樹種別では全国で第4位の巨樹である。主幹は上部で折れ、空洞化しているが、その姿は「神韻また自ら発す」(奥上林村誌)と評されている。林道君尾線から山道を30分ほど下りようやくその姿を目にできることから、「幻の大トチ」ともいわれている。京都府天然記念物。「京都の自然200選」の一つ。
(けず)り取(と)
  川幅広(かわはばひろ)
    細川公(ほそかわこう)
舞鶴市和江
慶長4年(1599)、田辺城主細川忠興(1563〜1645)は、由良川河口から4.2km上流の舞鶴市和江地先の狭く曲折している箇所を広げ、由良川の流れを良くすることによって洪水被害を弱める工事を行った。岩石が極めて硬く工事は難航し、当初予定の岬を削らずに、下流の耕地を犠牲にして岬背後の鞍部、幅20間余(約36m)を開削することにした。その結果、岬の部分は中の島、瀬戸島として残った。これを撤去したのは大正2年(1913)のことで、現地に記念碑が建つ。

噴火(ふんか)した
  跡(あと)をとどめる
    田倉山(たくらやま)

夜久野町夜久野
田倉山は夜久野町と兵庫県朝来郡和田山町の境界にある標高349.7mの円錐状の山である。京都府内唯一の火山。宝山、多倉山とも記す。山頂に周囲約450mの火口があり、火口底には直径100mほどの火口池があった。火山活動は十数万年前に始まり数万年前には終わったと推定されている。田倉山の立つ夜久野ヶ原は二段になった玄武岩の溶岩台地で、玄武岩は石材として利用される。小倉の玄武岩公園(「京都の自然200選」)や大油子では玄武岩の柱状節理が見られる。