サケに乗(の)
  大川社(おおかわやしろ)
    神来(かみきた)
舞鶴市大川
大川神社は舞鶴市大川にある古社である。「延喜式」神名帳(延長5年、927年)に記載の式内社に比定される。保食神(うけもちのかみ、五穀をつかさどる植物の神)を主神とする。金色のサケに乗り五穀と養蚕の種をもつ神が社地に鎮座したいとの託宣を得て、社殿を造営したことに始まるという。江戸時代には、この縁起に由来する食鮭の禁忌が村人にあった。大川は由良川の中流・下流をさす。加佐郡一帯の神社に大川社の境内社が多く見られる。

木々(きぎ)の中(なか)
  山椒太夫(さんしょうだゆう)
    屋敷跡(やしきあと)

宮津市石浦ほか
由良の長者山椒太夫のもとで働かされ、過酷な運命に苦しみぬく安寿と厨子王の物語は森鴎外の小説「山椒太夫」で有名である。小説の素材となった山椒太夫伝説は由良川河口が舞台である。山椒太夫は平安時代中期に由良一帯を支配した領主と考えられ、「山椒」は岡田庄・由良庄・河守庄の三庄のことともいう。山椒太夫の屋敷跡(宮津市石浦)、安寿が潮を汲んだ汐汲み浜(同市由良)、山椒太夫首塚(同)、安寿姫塚(舞鶴市下東)などが伝えられている。
夢破(ゆめやぶ)
  半鐘(はんしょう)の音(おと)
    川(かわ)あふれ
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綾部から福知山の福知山盆地は由良川の勾配がゆるい。また盆地の出口が狭く、流れの疎通が悪いので、洪水氾濫が発生しやすく、水が引きにくい。福知山盆地をすぎると狭い谷底平野が続き、勾配は極端にゆるく蛇行をくり返す。さらに河口の両岸の砂州が海への排水を妨げる。このように由良川の中流・下流は洪水のほか、湛水・逆流による氾濫をくり返してきた。江戸時代の記録に残る水害は106回に達する。なお、綾部より上流は谷底が深く大規模な水害は起こっていない。

(め)を見張(みは)
  藤(ふじ)の大棚(おおだな)
    才(さい)の神(かみ)

大江町南有路
大江町南有路の古地峠に向かう谷の途中に大きなケヤキ(幹周約7.9m)にからまった大小6株のフジがある。ケヤキの根元の空洞部に道祖神(さいの神)が祀られていることから才の神の藤とよばれる。四方に伸びた枝が藤棚の役割を果たし、6株のうち最も太いフジは幹周約1.8mである。フジの広がりは道路に沿って東西32m、南北27mに及ぶ。花は一般のフジよりもやや遅く5月中旬すぎに咲く。藤祭りが開かれ、子ども相撲や露店が出て賑わう。「京都の自然200選」の一つ。