(もぐ)り橋(ばし)
  渡(わた)しに代(か)わる
    簡易橋(かんいきょう)
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かつて由良川の両岸を結ぶのは渡し舟であった。渡しの多くは木橋に代わり、それも今日では多くが鉄鋼やコンクリートの橋となっているが、なかには潜り橋(潜没橋、沈下橋)のような簡易な橋もある。潜り橋は増水時に橋全体が水没するもので、須川橋(和知町)、在田橋(大江町)、波美橋(同)などがあり、なかには波美橋のようにダンプカーのような大型車両が通行できるものもある。また、旧小貝橋(綾部市)のように橋げたと橋脚を固定しない流れ橋もあった。

石造橋(せきぞうきょう)
  明治(めいじ)のアーチ
    岡田橋(おかだばし)

舞鶴市岡田由里
岡田橋は舞鶴市岡田由里の国道175号にあり、由良川支流、岡田川を渡る。旧道に明治21年(1888)に築造された石造アーチの旧岡田橋が残る。「めがね橋」の名で親しまれ、地元の強い要望で保存された。長さ16.7m、幅5m。琵琶湖疎水で有名な田辺朔郎の設計と伝えられている。京都府の技術者の手により進められた「京都宮津間車道開鑿工事」の石橋の一つ。この道路には現在、旧岡田橋のほかに亀岡市の王子橋が残るだけで歴史的価値が高い。京都府指定文化財。
水難(すいなん)
  霊(れい)をとむらう
    地蔵尊(じぞうそん)
綾部市味方町
綾部市味方町の共同墓地に一体の地蔵尊が立つ。味方は山家、上林、八田と由良川対岸の綾部城下を結ぶ街道筋にあたり、城下とは渡し舟で連絡されていた。嘉永4年(1851)3月、この渡しで大原神社(三和町)の参拝帰りの乗客27名が溺死する事故があった。この事故の犠牲者の霊をとむらう地蔵尊である。なお、味方、質山峠、大原神社、榎峠、須知(丹波町)を結ぶのが綾部街道(国道173号)である。明治27年(1894)に味方の渡しの上流に綾部橋が架けられた。

由良(ゆら)の面(も)
  梁(やな)うち渡(わた)
    サケはねる

大江町有路、綾部市山家ほか
山家(綾部市)、南有路、北有路、二箇(以上、大江町)、地頭、岡田由里(以上、舞鶴市)などでは、かつて由良川の川幅一杯に梁を張り渡しサケやアユなどを捕った。梁は舟運の邪魔になるので、藩は特定の村にのみ梁の設置許可を与えた。村では通過船ごとに塩四斗の通行税をとり、藩には年貢を納めた。山家の梁は昭和30年(1955)で終わりを告げたが、平成4年(1992)に商工繁栄会の手により観光用の梁が復活した。