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6.2 足羽川放水路工事

福井市大瀬から水越・明里にかけての足羽川放水路計画は、江戸時代より考えられていたが、明治33年(1900)からの九頭竜川改修第一期工事の一部として放水路工事が行われた。しかし、しばらくの間は、迂曲している旧河道を舟運路のため存置しておき、新しく開削した放水路を洪水時に利用するようにしていた。その後、昭和4年(1929)度~6年(1931)度の3ヵ年に総工費18万円でもって、旧東安居村明里において屈曲している足羽川を是正して、直流するように改修された。この工事によって廃川敷地約4万坪(13.2ha)が生まれ、これを埋め立てることによって土価評価が高くなることから、受益者負担金7万円を寄付することになったので、県費の直接支出は11万円でよいこととなった。また、この河道是正は、福井市西部地域の発展の鏑矢となった。
(※福井市史 資料編 10 p.867~868)
足羽川は、昭和26年(1951)度より福井県の中小河川改修工事で河道開削工事が行われた。昭和38年(1963)度に水越地区での旧河道閉塞や旧足羽川の埋立てが竣工し、放水路工事が完成した。