九頭竜川流域の文化財(平成10年5月現在)を指定別でみると、
九頭竜川流域では、最古のものとして無土器時代の石器が永平寺町鳴鹿の河岸段丘から出土しており、縄文時代の遺跡は、各期にわたっているが中期に属するものが多く、山地、平野周辺に分布している。 弥生時代の遺跡は、主に武生盆地・福井平野に分布し、その殆どが後期に属することから、これら平野の稲作の開始はかなり遅れていたものと思われる。古墳時代に入ると、遺跡は九頭竜河谷、大野盆地にも分布するようになった。福井県内の古墳数は、約4,000基にも達するといわれている。 律令時代には、近畿の文化が広く伝播するようになり、それまでの地場文化との交流が盛んになった。この時代の文化遺産が流域内各所の寺社などに残っている。鎌倉時代には、道元が永平寺を開くなど仏教の影響が強まるとともに、各地の領主は城下町を築き、積極的に各地の文化を取り入れた。特に、一乗谷は朝倉氏がこの地に居を構え、京都文化を取り入れ、小京都と呼ばれて賑わった。 戦乱の時期を経て、藩政時代になると、民生的にも安定し、福井・鯖江・大野などの城下町では町民文化の急速な発達をみせるようになるとともに、農村でも独自の文化が育成された。これらの文化の多くは、今日にいたり伝承されている。 また、福井県は、東北日本と西南日本の生物相が交差し、分類地理的にも重要なところで、数多くの動植物が天然記念物に指定されている。そのなかでも、淡水魚である陸封形イトヨとアラレガコ生息地が指定されているのが注目される。アラレガコ生息地は、昭和10年(1935)6月7日に文化財保護法史跡名勝天然記念物として、九頭竜川本川の大野市花房町から福井市舟橋新までの区間が指定され、全国で一番長い区間指定となっている。 |
表1.3.19 国指定文化財等一覧 (※平成10年5月 福井県教育委員会資料) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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