九頭竜川流域誌


1.4 古墳時代
1.4.1 九頭竜川沿いの古墳

 九頭竜川沿いの古墳は、大半が標高30〜200mの丘陵上に存在し、大型の前方後円墳や円墳などが丘陵の尾根沿いに位置するため、自然地形に制約された不整形なものが多く見られる。これらの古墳は、川が谷間から平野に出る谷口の平野を見下ろす位置に多く存在している。なかでも、九頭竜川が福井平野に出る松岡町と丸岡町の境の丘陵地に、前方後円墳など代表的な古墳群が築かれている。
 越前地方で最も古いとされている前方後円墳は、松岡町手繰ケ城山古墳であり、墳丘は二段築造、葺石と埴輪を有する全長129mの堂々とした大きさの古墳である。永平寺町から松岡町、そして福井市原目山にかけて約150基の松岡古墳群がある。この中心を成す松岡町には、方墳、円墳、前方後円墳が約40基混在しており、二本松山古墳、鳥越山古墳、石舟山古墳、乃木山古墳など著名な前方後円墳がある。
 九頭竜川を挟んだ対岸には、標高200mの丘陵上に丸岡町六呂瀬山1号墳をはじめとする六呂瀬古墳群や山王山古墳、腕貸山古墳などが存在する。六呂瀬山1号墳は、墳丘全長140mと北陸地方最大の規模である。また、丸岡町から金津町にかけては、男大迹王母子の出身勢力とも関係が深いとされている横山古墳群が築かれている、
 松岡古墳群、六呂瀬山古墳群は3世紀後半から6世紀末にかけて築造されたもので、越の国の首長の墓が集中しているのことから、王国が形成されていたのではないか想像されている。この証のひとつとして、標高273mに立地している二本松山古墳の後円墳に2基の石棺が安置されていて、その一つから金銀の天冠・甲冑・鏡・玉などが出土している。また、泰遠寺山古墳の舟型石棺の中から中国製の半円方形帯神獣鏡1面、彷製内行花文鏡1面、勾玉5個、管玉8個、ガラス棗玉2個、ガラス小玉448個などが出土している。



九頭竜川流域誌メニューへ
第4章メニューへ
戻る次へ
TOPに戻る

Copyright (c) 国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所 2001 All Rights Reserved.