九頭竜川流域誌


1.4.4 越の国造

 大和王権による日本の統一が進み、服属した各地の有力な首長は、国造に任じられた。およそ5、6世紀頃のことである。これは、大和王権に対して貢献物や部民を出すなどの奉仕の義務を負う一方、その地位の保証を得たわけである。「国造本紀」によれば、九頭竜川流域には高志国造、三国国造が置かれていた。
 高志国造は、阿閉臣の祖の子孫を定めたと伝えられているが、「日本書紀」では孝元天皇の子大彦命が阿閉臣や越国造など七氏の祖であるとしている。しかし、何氏であったかは明確ではなく、丹生郡の佐味氏であると考える説のほか、手繰ケ城山古墳・泰遠寺山古墳・二本松山古墳などの大型前方後円墳の被葬者にあてる説もある。
 三国国造は、「国造本紀」では蘇我臣との同族関係としているが、「日本書紀」では継体天皇の子椀子皇子が三国公の祖であり、三国君であろうとされている。これは、継体天皇擁立に三国氏が参加したことを背景にしたものであり、蘇我氏との関係よりも新しく成立したことにも関係しているとされている。三国氏の墳墓は、金津町の横山古墳群とされている。(※図説福井県史 p.26)

横山古墳群(金津町・丸岡町) 点は前方後円墳の位置
横山古墳群(金津町・丸岡町) 点は前方後円墳の位置


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