九頭竜川流域誌


1.5.2 越前の条里制

 条里制とは、大化改新(645)のなかで根幹をなす班田制を円滑に運営するために行われた制度であり、一種の耕地整理のようなものである。大化改新の詔には、「およそ田は長さ30歩、広さ12歩となし、10段を町となせ」と示され、条里制の基準を明らかにしている。1歩がほぼ1間であり、1段とは長さ30間に幅12間で360歩からなり、それを10筆合わせたものが1町である。方1町の周囲には、原則として畦畔と溝渠を巡らし、碁盤目の地割がなされた。
 律令制下の地方行政の単位として、郡の下に50戸で構成する里が置かれた。しかし、霊亀3年(717)から天平12年(740)ごろまでの間は、里が郷と呼ばれ、その郷の下に2、3の里を置く郷里制が施行された。
 かつて福井平野には、碁盤目状に整然と区画された土地が見られた。ほぼ一辺が109mを基本とした規則的な正方形の地割形態を示し、これを条里地割と称している。この正方形の区画は、奈良時代には「坊」、平安時代からは「坪」と呼ばれるようになり、その面積が古代の1町となっていたのである。
 条里制は、土地の所在地を何条何里何坊(坪)と表現し、合理的な土地表示様式の基礎単位として機能していたのである。この条里地割は、圃場整備がなされるまで残されていた。(※図説福井県史 p.32)

鯖江市中野町付近の条理地割(1962年頃の航空写真:国土地理院)
鯖江市中野町付近の条理地割(1962年頃の航空写真:国土地理院)


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