領国経営の中心として城下町が成立し、支配の象徴として偉容を誇る天守閣をはじめとする城郭も整備された。武士を城下町に集住させ、それらの日常生活をまかなう町人(商人・職人)を地子や諸役を免除して城下町に住まわせ、侍町や町人町、寺町など居住区を区分し、城下町への入り口には大木戸や門を設けて町と在を区別した。村々では農民を検地帳に登録して土地に縛り、年貢納入を義務づけた。 |
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表1.4.1 福井城下町方戸口表 (※福井市史 資料編 別巻 絵図・地図 p.32) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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(注1) | 社家・寺院・山伏の人数も含む。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(注2) | ※印のものは「稿本福井市史」上巻による |
福井城の石垣 |
福井城下絵図 万治2年以前(※福井市史資料編 別巻 絵図 ・ 地図編 P.46) |
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