九頭竜川流域誌


3.6 産業の発達

 主要産業は、比較的早くから行われていたものに福井の奉書紬・笏谷石、府中(武生市)の打刃物、五箇の奉書・鳥の子、今立郡の片山塗、金津の鑷・鋏刃、吉田郡松岡・志比堺や今立郡五分市などの鋳物、三国焼や織田焼などであった。
 越前鎌として著名な武生の打刃物の生産が本格化するのは18世紀なかばのことで、寛政9年(1797)に鍛冶職が72軒であったのが、慶応2年(1866)には151軒に増加し、80万7千丁もの鎌や菜刀が作られていた。これらの鎌や菜刀は、越前国内で売られただけではなく、越前鎌商人が諸国に販路を広げていった。
 今立郡五箇(大滝・岩本・定友・不老・新在家)は、古代から和紙の産地として知られていた。江戸時代には、真白な皺のない上質の紙として、越前奉書と呼ばれて全国で使われた。江戸時代後半の「経済要録」という書物には、奉書は「五ヶ村ヲ以テ日本第一トス」と書かれている。福井藩は専売制度を執り、奉書紙を主に幕府や公家、大名などへの贈答品として利用する一方、紀州・尾張・彦根藩などの大名や有力寺社などへ販売するとともに、藩札にも使用した。また、江戸や上方などで一般庶民にも売られ使用されていた。
 坂井郡細呂木(現金津町)を中心とする茶は、天保末年(1840頃)に宇治から伝えられたといわれている。織物では石田縞として著名な丹生郡下石田(現鯖江市)の木綿は、文政年間に美濃から伝えられたものである。粟田部(現今立町)の麻織物は、初め近江蚊帳の原料でしかなかったが、安政年間に近江から技術が伝えられ、府中や大野・勝山にも普及し、越前蚊帳として本物をしのぐようになった。養蚕は各地で行われていたが、慶応年間に武州八王子や上州から座繰機が伝えられ、福井藩や大野藩、勝山藩で製糸業が急速に発展した。
 大野郡箱ヶ瀬村の面谷銅山から産出される銅は大野銅とも呼ばれ、幕末の大野藩の財政に大きく寄与した。



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