九頭竜川流域誌


4.1.2 産業の推移

 明治21年(1888)の「農事調査」によれば、「米・麦・大豆・菜種・綿・麻・たばこ・茶・繭・生糸の十品を本県重要物産とす。」とある。これらはいずれも江戸時代以来のものであり、新しい産業としては芽生えていなかったが、明治20年(1887)、輸出羽二重の登場によって、福井県の産業構造が大きく転回した。
 由利公正が明治4年(1871)にヨーロッパから絹織物を持ち帰ってきたのに刺激され、養蚕家の酒井功はバッタン機の織物技術を導入しようと県に働きかけ、京都西陣へ伝習生を派遣した。そして、明治9年(1876)に酒井らは福井市毛矢町に織工会社を設立して、伝習生が指導にあたった。しかし、明治18年(1885)にアメリカから羽二重の注文を受けたが、その製織技術が分からなかった。このため、桐生から技師を招き女工員に講習を受けさせるなど、技術習得に努めた結果次第に生産できるようになり発達していった。第一次大戦後の好況にのって、アメリカを中心に輸出が伸びたが、昭和初期の大恐慌では大打撃を受けて倒産が続出した。しかし、羽二重に代わって人絹織物が登場し、昭和12年(1937)頃には全国の60%を占めた。



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