九頭竜川流域誌


5. 現代
5.1 昭和初期

 昭和2年(1927)1月下旬から2月中旬にかけて、福井測候所が明治29年(1896)に開設されて以来の豪雪となり、福井市で最深積雪209cm、大野で297cmを記録し、1ヵ月にわたって交通をマヒさせ、県民の生活はもとより織物業などの産業にも打撃を与える波乱の幕開けとなった。この豪雪被害は、政府が雪害対策や豪雪地帯を認定するなどの必要性を認める契機となった。
 さらに、この年の3月には雪どけと降雨とが重なり、九頭竜川をはじめとする各河川が洪水となった。
 大正デモクラシーの最大の課題であった「普通選挙法」が大正14年(1925)に成立しており、これを受けて最初の普通選挙による県会議員選挙が、民政党、政友会といった二大政党制のなかで昭和2年(1927)に行われた。県会では、昭和3年度より自動車が自由に通れる道路に改良する産業道路改修計画が4ヵ年継続事業として成立した。しかし、長引く不況と国際収支の悪化による日本経済の課題に対応するため、消費を切りつめ輸入を抑え、商品の価格を下げて輸出の伸展を図り、併せて歳出を削減する政府の経済政策が実行されるに至り、福井県でもこの影響により産業道路事業は事実上中止となった。
 こうしたなかで福井市では、明治・大正期から人口が増加し、大正14年(1925)の国勢調査では、人口密度が1人あたり20坪(66m2)と全国的にも高い密度を示し、工場の再配置、道路の拡張整備、上水道の整備などの都市計画事業が一層求められることとなった。そこで、福井市では都市計画法の適用を受けるための申請案を市会に提案する一方、内務省にも提出し大正15年(1926)末に認可され、昭和2年(1927)4月1日より指定を受けた。これによって、都市計画指定区域を住居・商業・工業地域および未指定地に4区分し、秩序のある都市の発展を進めていくこととなった。
 その後、昭和10年(1935)には武生・大野・勝山の各町が認可を受け、次々と都市計画が認可されていった。一方では、都市計画に関係することや地方税制の改正などによって、町村合併や編入が進んだ。



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