九頭竜川流域誌


5.2 昭和20年代の悲劇

 第二次世界大戦の終末が近くなった昭和20年(1945)7月19日、福井市は129機もの米軍機によって81分間にわたって爆撃され、市街地の約85%が損壊した。当日は快晴であり、爆撃の精度が上がったことと、住居密集率が高かったため2万戸以上が焼失し、9万人以上の市民が罹災するとともに、死者も1,500人に及んだ。 
 福井空襲による復興が進まないなか、昭和23年(1948)6月28日午後5時13分過ぎ(サマータイムで、現在の午後6時13分過ぎ)、坂井郡丸岡町付近を震源とする地震の規模がマグニチュード7.1の大地震が発生した。震源の浅い直下型の内陸地震であったため、被害地域が今立郡北中山村から福井市、吉田郡森田町(現福井市)、坂井郡金津町を経て吉崎村(現芦原町)に至る南北約60km、東西約20kmの1市6郡と比較的小範囲であった。しかし、被害は福井平野全域で家屋倒壊率が60%を越え、特に坂井郡丸岡町、磯部村(現春江町)、春江町などの町村では全壊率が100%と、壊滅的被害を受けた。これを契機に、気象庁震度階に、新たに震度7(激震)が加えられた。
 このような大災害に追い打ちをかけるように、同年7月24日から25日にかけて豪雨となり、脆弱化していた堤防を越えて、至るところで破堤氾濫が生じ、福井平野は泥海と化した。
 福井県や市町村では、度重なる災害によって財政事情は逼迫した。しかし、予算の追加補正をしばしば行い、震災と水防災対策および復旧にあてられた。
 既に昭和21年(1946)10月に、戦災復興のための「特別都市計画法」の適応を受けていた福井市は、戦前の都市計画を基本にしながら、区画整理をはじめ街路の拡張整備・上下水道の改良・公園緑地の拡充などを進めた。



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