九頭竜川流域誌


5.4 交通網の整備

 鉄道では、北陸・東北地方の産業振興によって、北陸本線の輸送量が昭和25年(1950)までの5年間に3倍以上も増加し、単線で急勾配区間の解消が急務となってきていた。そこで、滋賀県境の深坂トンネルに引き続き、敦賀・今庄間で昭和32年(1957)11月から北陸トンネルの工事が開始された。このトンネルは、13.87kmと当時としてはわが国最長のトンネルであり、全面掘削機などの最新の機械が導入されて工事が進められ、5年後の昭和37年(1962)に新線が開通して、勾配が緩和されるとともに、敦賀〜福井間が電化された。さらに、湖西線の開通によって大阪までの距離が短縮され、大阪〜福井間が2時間で結ばれるようになった。
 一方道路は、昭和30年(1955)にわずか2%にすぎなかった県内の国道と主要道路の舗装率が、昭和45年(1970)には約60%、昭和55年(1980)には約88%となった。さらに、昭和38年(1963)の名神高速道路(栗東〜尼崎間)の開通に始まる全国の高速道路の整備は、工業や物流拠点の再配置と地域開発の促進など、大きな経済的効果をもたらした。福井県内では、昭和48年(1973)10月に小松〜丸岡間の北陸自動車道が開通し、昭和55年(1980)4月の敦賀〜米原間の開通によって名神高速道路とも接続した。



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