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概要 |
平成9年(1997)1月2日、荒天候のため島根県沖の日本海でロシア船籍のタンカー「ナホトカ号」(13,157トン)が沈没した。第八管区保安本部(京都府舞鶴市)は、翌3日に同船から流出したとみられる帯状の重油を確認した。ナホトカ号は、C重油を1万9千キロリットルを積んでおり、そのうち約3千7百キロリットルが流出しているとみられた。
その後、船体は2つに折れ、船首部分が重油を流出しながら時速約2kmの速度で南東に漂流し、潮流と強い季節風の影響によって5日後の7日午後に、沈没現場から250km離れた三国町安島の雄島付近に漂着し、同町崎の沖合約150mに座礁した。残る船体は、隠岐島の北北東約113km地点に、重油約1万5千キロリットルを積んだ状態で沈没した。
福井県では、1月4日に「タンカー油流出事故庁内連絡会議」を設置し、情報収集と連絡調整を図った。7日には、被害が甚大であると判断し、直ちに災害対策基本法に基づき「災害対策本部」を設置した。これは4月30日まで続いた。
政府は、1月10日に運輸大臣を本部長とする「ナホトカ号海難・流出油災害対策本部」を設置した。 |
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被害の状況 |
7日午前、船首とともに三国町安島沿岸に漂着した重油は、8日に福井市・芦原町、9日には越廼村および越前町の海岸に漂着した。15日以降には若狭地方の市町の沿岸に、そして21日に河野村にも漂着して、被害の範囲は福井県内沿岸全体に及んだ。
漂着した油は、イワノリ漁場や磯根資源の餌場、魚介類の幼稚仔保育場として重要な沿岸の藻場(ガラ藻場)に大きな被害をもたらした。特に、三国町のノリ付け場には大量の重油が押し寄せ、最盛期を迎えていたイワノリの採集が不能になるとともに、イワノリを採集するために造成された面の窪み、コンクリートの割れ目などに重油が入り込み悲惨な状況となった。
また、海洋生物にも影響が及び、カサガイ類やクボガイ類を斃死させ、アカエリカイツブリやウミネコなどの海鳥が重油で汚染されるなどした。
水産施設や漁具等の被害としては、定置網や養殖ワカメに重油が付着する被害が生じた。
例年この時期は、定置網による寒ブリやマイワシ漁が最盛期であり、越前ガニや甘エビ、赤ガレイ等の漁も活気に満ち、ヒラメの刺し網やメダイの一本釣り等も盛んに行われる。しかし、県内の漁業関係者は、漁を休業して船上から海上を浮遊する重油の監視と回収、海岸においては漂着した油の回収に従事せざるを得ず、大きな損害を被った。
観光面では、東尋坊が近くにあり、観光地への出控えと水産物の安全性の懸念などで、海岸の旅館や民宿などで宿泊客が前年比で20%減と大きく落ち込んだ。 |
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重油回収 |
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洋上 |
冬季の日本海は大時化の日が多く、洋上回収は非常に困難を伴うものであるが、主として油回収船によって実施された。 |
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沿岸 |
沿岸に漂着した油塊は、バキュームカーやコンクリートポンプ車などを用いて実施された。バキームカーは、かなり効果があった。 |
3) |
砂浜や岩場 |
市町村職員、警察・消防署員、地域住民、自衛隊員、そしてボランティアなどが、ひしゃくなどを用いて回収を行った。 |
4) |
仮設道路建設による重油抜き取り作業 |
着底しているナホトカ号船首部に残存している重油の抜き取り作業を実施するため、1月15日より三国町安島沖に約175mの仮設道路建設に着手し、途中時化により中断を余儀なくされたが2月10日に概成した。その後、仮設道路の補修を行いつつ、2月14日には船首部に大型クレーン車のブーム先端部分を接続し、2月14日から25日にかけて重油381キロリットルを回収した。
仮設道路建設に使用した材料は、捨石約54千m3、消波ブロック10t〜25tを計733個使用した。仮設道路の撤去は、6月7日に着手し11月4日に作業が完了した。なお、土砂や捨石、消波ブロックの運搬処理を完了したのは、翌10年(1998)1月23日であった。 |
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ボランティア活動等 |
ロシアタンカー重油流出事故災害では、1月8日にはボランティアの申し込み受付を開始し、その直後から大勢のボランティアが全国から駆けつけ、冬季の厳しい日本海の海岸で献身的な活動が繰り広げられた。これらの人々は、地元住民を勇気づけたのみならず、夏には美しい海岸を取り戻すなど、さまざまな意義と成果を県および市町村に置きみやげとして残した。
また、1月15日からは県がインターネットにホームページを開設し、リアルタイムでボランティアの活動状況や対策の進行状況などを情報提供した。これは、情報の提供方法の手段の一つとして、マルチメデイアを先取りしたものとして評価された。 |