九頭竜川流域誌


2.3 舟橋

 舟橋と呼ばれている「森田舟橋」は、天正6年(1578)3月に柴田勝家によって架橋されたといわれている。しかし、「三州志」という本には、建武2年(1335)にすでに舟橋があったことが記されている。(※河川のルーツ p.72)
 「和漢三才図絵」には「川幅140丈、舟80艘」と記されており、「片聾記」では「川幅105間、橋長120間、鉄鎖520尋」、「越藩拾遺録」では「川幅105間、橋長120間、鎖520尋、舟48艘浦々より出す」と書かれている。
 柴田勝家は、舟橋を造るに当たって40ヵ村から舟を調達している。
 江戸時代、福井藩は結束した舟の上に渡す敷板を110組、行桁86間(約156m)、長板36間(約65m)を準備し、丸岡藩では藤を用意したという。洪水で流失した場合には、拾った者に褒美として、他領のものには200文、領内の者には人足2人分、敷板1組ならば100文に人足1人分、行桁1本では50文に人足半人分となっていた。洪水に対処するために舟5艘を用意し、橋のきわには奉行所が置かれていた。 

柴田神社(福井市)に残っている舟を繋いだ鉄鎖
柴田神社(福井市)に残っている舟を繋いだ鉄鎖

 この舟橋は、明治10年(1877)7月、稲田・古市村と舟橋村との間に全長104間(189m)、幅3間(5.45m)の木橋が架けられ、約300年間のその役を終えた。不要となった鉄鎖は、小舟渡舟橋に再利用され、その後は柴田神社に一部が保管されるようになった。

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