九頭竜川流域誌


2.4 筏流し

 福井の筏師は、かなりの人数が「筏町」に住み、九頭竜川の御用材筏流しにも出向いていたが、多くは足羽川の筏流しに従事したと伝えられている。
 足羽川の筏流しは、上流の池田から中流の朝谷までと、さらに下流の木場までであった。そして、木場で筏の解体が行われた。
 筏は、周囲3尺(約91cm)位の杉丸太7本を並べて約2mの組立幅とし、長さは最長約27mで、これを1枚として、通常は2枚を1組として筏師が2人乗って流す。筏は木の根株の所にミト穴をあけ、この穴に藤蔓を通して1本1本を結束して、末口の方も1本1本を編むようにからげ、最後に筏の中央部にあたるところを細い丸太を直交させ、これも藤蔓で結びつけてコワリをつけて固くして仕上げられた。
 池田から朝谷までが請負で、ここから朝谷の筏師と交代した。朝谷の筏師は、福井の木場まで送ることが1日の仕事であった。筏流しは、戦前まで続けられた。
 福井藩の家臣や町民の燃料となる「薪」を背負って運ぶ代わりに、足羽川を流送させる「杪流し」が春先に行われ、西方村(現福井市)付近で拾い上げて川原で乾燥させ運ばれた。(※河川のルーツ p.203〜205)



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