九頭竜川流域誌


3.1 雨乞い

(1) 平成6年の雨乞神事
 平成6年(1994)夏期の渇水時には、宮崎村舟場の雨乞い伝説の地である「蝉丸の池」で、34年ぶりに区民総出で池の水を汲み出し、底に埋めてあった古い舟板を掘り起こして清めて祈願する雨乞い神事が行われた。
 また、鯖江市神明社では、約70年ぶりに「神牛引雨乞神事」が行われ、神社内の十ノ池で牛鼻に付けた縄を区長らが引き、「雨ふらせ!」と大声を張り上げて降雨を願った。
蝉丸池での雨乞神事 (宮崎村舟場) 「神牛引雨乞神事」 (鯖江市神明神社)
蝉丸池での雨乞神事(宮崎村舟場) 「神牛引雨乞神事」(鯖江市神明社)
(2) 雨乞いの諸相
 九頭竜川流域の雨乞いの諸相には、いろいろな形態がある。
 1) 山上で火を焚く
 武生市大虫では、8月15日夜に鬼ヶ嶽へ松明行列を行っていた。これは、昔、長い干天で水不足になり困り果てた村人達が、松明を手にして山頂に登り、火を焚いて雨乞いをしたところ霊験あらたかに雨が降った。それから山上で火を焚いて雨乞いをした。
 2) 神仏
今立町西樫尾では、「泰澄自刻像」に雨を祈願した。
鯖江市川島では、重要文化財に指定されている追儺面に雨を祈願した。
 3)
鯖江市神明では、神明神社境内の十ノ池を掃除してから、池の中の牛に綱をかけて「雨降らせ、降らさねば湯の花にもどすぞ」と唱えながら牛引をして雨乞いをした。
今立町では、いつでも水のたまっている神社境内の「雨乞の岩」に雨乞いをした。
丹生郡の越智山麓の武周ヶ池は、龍神様のすむ池であるとの伝説があり、雨乞いの池として親しまれてきた。平成7年(1995)8月28日には、祭祀の復活後4回目の雨乞い祈願のための龍神祭が行われた。
 4)
今庄町の夜叉ヶ池には、雄の龍に魅入られた女人が住んでいるとされ、笹の葉の舟に乗せた白粉か御神酒を池に流して雨乞いをした。供え物が池に引き込まれると願いが聞き届けられ、雨が降るといわれている。
武生市高木町の泉久寺には、七面堂の天井に大きな龍が描いてあり、雨乞いには夜叉ヶ池から汲んできた水をふりかけ、お題目を唱えた。
武生市池ノ上町には、八大龍王(女の神)を祀った龍神様があり、雨乞いのときの神様として崇められている。雨乞いは、大溜の水が涸れると行われる。明治42年(1909)6月、大正12年(1923)8月、昭和8年(1933)8月に行われたという記録がある。
 5) 芸能
永平寺町上浄法寺では、相撲をとって雨乞いをした。神社は女の神様を祀っていて、相撲が嫌いなためと伝えられている。
福井市長橋町の水源神社では、祭神は相撲が好きであることから、一帯が干ばつで水枯れになったとき、相撲を6月24日に奉納していた。
大野盆地では、雨乞いのときに棒振りをして村を練り歩いた。
 6) 雨乞絵馬(武生市日野神社)
 日野神社には、馬を献じて雨を祈って五日五夜祈願したという絵馬が伝えられている。それは、奈良時代に降雨を祈るときには黒い馬、晴れを願うときには白い馬を神社に献じたので、その伝統をひくものであろうといわれている。
 7) 雨乞龍の額(勝山市岩屋観音)
 岩屋観音にある雨乞龍の額を、水をつけた笹でなでると雨が降るといわれ、勝山近辺の信仰を集めた。
 岩屋観音の敷地には、涸れることのない湧水があり、白蛇伝説もあって、もともとあった他の形の雨乞いが、龍の額に降雨を祈願する形となったものといわれている。
雨乞絵馬 (武生市日野神社) 雨乞龍の額 (勝山市岩屋観音)
雨乞絵馬(武生市日野神社) 雨乞龍の額(勝山市岩屋観音)
 8) 雨乞い踊り
今立町柳に伝わる「花笠踊」は、灌漑用水はもちろんのこと飲料水にも事欠くほどの干天が続くと、雨乞いのために行われた。
三社の雨乞い踊り(大野市)
牛ヶ原にある三社の社(弁財天)に雨を乞うとたちどころに雨が降るということから、毎年6月8日を祭日とし、神前に雨乞い踊りを奉納する。踊りは笛や太鼓に合わせて、両端に紅白の紙を巻きつけた樫の棒を操り、水汲みや水車の回る形を表す。


九頭竜川流域誌メニューへ
第5章メニューへ
戻る次へ
TOPに戻る

Copyright (c) 国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所 2001 All Rights Reserved.