九頭竜川流域誌


7. 民話・伝説
7.1 河川

(1) 五条方の水神宮(大野市)
 寛政年間(1789〜1800)、真名川に大洪水があり堀兼の堤防が約500m余り決壊したため、上庄の村々はもちろんのこと大野の城下町まで、田畑や家屋が流失して甚大な被害となった。
 大野藩は、多額の費用を投じ、多くの村人たちを動員して修築工事を実施した。その苦労は大変であったので、今後このような水害が起きないように、村の有志が協力して水神を祀ることとなった。そこで、各地の人々に喜捨を求めて、修築を行った堤防付近に天照大神を奉戴して安置することになった。その後、永く水神さんとして崇められてきた。
 五条方には、この水神宮の近くの佐開橋の畔に「不動祠」がある。これは、河川の怒りを不動の怒りで鎮めるという願いから、真名川の堤防に水不動を建立したものである。
五条方の水神宮 佐開橋の畔の不動祠
五条方の水神宮 佐開橋の畔の不動祠
(2) 神明神社(大野市金山)
 
神明神社
神明神社
金山の神明神社社殿の右側には、薬師如来座像が安置されていて、土地の人からは水難除けの石仏として崇められている。
 この座像は、明治22年(1889)に旅塚川が氾濫したとき、字一番庚申塚より出土した石像である。この座像には「元和八年戌八月吉日」と刻印されており、江戸時代初期の仏像である。
(3) 黒竜大明神(福井市毛矢)
 
毛矢の黒龍神社 (福井市)
毛矢の黒龍神社(福井市)
昔、国家鎮護・産業興隆を祈願して、東は常陸(茨城県)の鹿島大明神、南は紀伊(和歌山県)の熊野大明神、西は安芸(広島県)の厳島大明神、北には越前の黒竜大明神の四神を祀り、これらの四柱の神が四隅から国土を守護したといわれている。
 承平(935)の頃、生江の長者世常宿禰が霊夢を受けて社殿を建てたといわれている。
(4) 黒竜大明神(福井市舟橋)
 
船橋の黒龍神社 (福井市)
船橋の黒龍神社(福井市)
九頭竜川は北国一の大河なので、この川ばたに水体黒竜王を勧進して、黒竜大明神と号した。したがって、この川を黒竜川、この所を黒竜村と称した。
 天正年間(1578)に舟橋が架かってから、川を舟橋川、村を舟橋村と呼ぶようになった。
 黒竜大明神は、いつしか当所から坂井町に宮地を移し、その後福井市の木田山(足羽山)に遷座した。宮跡は舟橋村の西にあったが、現在の所に黒竜宮を建てた。雨乞いや難産の折りに祈願すると霊験があるという。
(5) 岡田渕(丸岡町)
 東二ツ屋の東方で大川(九頭竜川)が曲がっている所を岡田渕という。お方渕とも書く。
 昔、久米田に「おかた」という若い娘がいて、いつも機を動かし布を織っていた。ところがある日、糸が切れてうまく織れなくなり、舅に叱られたのを気に病み、機をかついだまま、この渕に身を投げた。それから、少し下流にある機織り石の付近で、よく機を織る音が聞こえてきたという。
(6) 大川除地蔵尊(今庄町:大正7年3月再刻・再建)
 
日野川の畔の大川除地蔵尊
日野川の畔の大川除地蔵尊
その昔、日野川とその支流(湯尾谷川)が洪水に見舞われるたびに田畑が流失したので、日野川の畔に地蔵尊を建立したところ、それ以来堤防の決壊がなくなった。
 地元民は現在もその地蔵尊を崇拝している。
(7) 竜宮が淵(朝日町)
 宝泉寺地区から天王川を500mほど川上にのぼると、水青く藍のような淵がある。この淵の上流に大岩があり、1月16日と7月16日に竜灯が燃えることがあるという。
 その下にえぼし岩という岩があり、岩の下に穴があいている。水上からたき木を流して誤ってこの岩に当たると、そのまま穴に入り再び出てこなくなる。そこで、竜宮が淵と名付けられたという。


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