九頭竜川流域誌


7.2 池沼

(1) 夜叉ヶ池(今庄町)
 夜叉ヶ池には牡龍・雌龍が住んでいた。ある時、牡龍が美濃国にて大干ばつに雨を降らせた功績によって、その地の大地主の娘を娶り夜叉ヶ池へ連れて帰ってきた。それ以来、雌龍との仲が大変悪くなり、争いが絶えなかった。牡龍は、このような事態をなんとか打開しようと思い立ち、湯尾峠に大蛇となって道いっぱいに横たわった。
 それがために、通行人は誰一人として大蛇を飛び越えて行く者がなかった。そうしたある日、江戸へ向かう加賀の武士が通りすがり、目前に横たわる大蛇を見て驚き、一度は引き返そうと思ったが、意を決して大蛇を飛び越え、一目散に駆け出そうとした。すると大蛇はたちまち山伏の姿となり、「我を飛び越える勇気のある者を待っていたが、ようやく勇気と度胸を持った者と巡り会えた。我は夜叉ヶ池に住む牡龍であるが、雌龍が二匹となって争いが絶えず、見るに忍びない。なんとかして一匹を制したいと思い立ち、この街道に横たわっていた。後日二匹の雌龍が女蛇となって争うとき、弓でもって腹の赤い蝶を射止めてほしい。」と頼んだ。
 武士は、いたしかたなく山伏に従い南条郡堺村、広野(現今庄町)に来て、弓術の練習に励み10日余りで自信もついた。そして、牡龍に告げて池にて腹の赤い蝶を射止めた。その武士が龍を射止めて帰るとき、10日余り世話になった的場と申す家に弓を置いていった。現在も、武士が練習した場所を龍崎的場といって、弓と一緒に伝えられている。
(※今庄町龍崎的場の伝説)
(2) 竜典長者(宮崎村)
 右大将物部佐昌は、天皇の命によって上の戸の湖を切り落とそうとしたが難事業で苦労していた。そこへ一人の女が来て「身分卑しいものですが。お手伝いさせてほしい。」というので、使ってみると良く働き、いつしか佐昌公の寵愛を受けて一子を生んだ。すると女は、「私は人間ではなく上の戸の湖に棲む主です。どうか切り落とすことをおやめ下さい。」と哀願した。
 佐昌公は、「これは私事の仕事ではなく、天皇の命令で行っているので、できないことである。しかし、全部を切り落とすのではなく、少しでも住みかを残してやろう。」といって江波という湖を残し、湖の跡を田畑となした。
 この残った所には鐘ヶ渕と明星ヶ渕ができ、この渕には先の女が竜となって棲んだが、子供は人間なので泣けば渕から上がって人間の姿になり乳をふくませた。しかし、子供とは一緒に暮らすことができないので、母親も子供と一緒に涙していることが多かった。
 その様子を竜典という里人が、「どうして悲しむのか。」と訪ねたので、女人は「私は竜神であり、子供は人界の子であるので、共に水の中で暮らすことができません。どうかこの子をもらいうけて下さい。」といって絹と一緒にもらいうけた。里人は、絹を使うときに2尺(61cm)残すと、一夜たつともとの一疋に戻るので、しだいに長者になったということである。
(3) 平泉寺池(勝山市)
 昔、泰澄大師がこの地にこもって日夜祈っていると、この池の中央の木の株の所に龍神が現れた。泰澄大師が「そのお姿では、お目にかかることはできない。」と申されると、たちまち龍神は若い女神の姿になって、泰澄大師に白山を開くよう告げられた。
 この池にぬかを投ずると、3日3晩で猿倉にある長山の奥の泉に流れ出る。また、地下へ潜って、7日7夜めに東尋坊の口にぬかが流れ出るのだという。
(4) 淵竜の池(坂井町)
 
淵竜の池
淵竜の池
数百年前、神宮寺というお寺の境内に、竜が棲んでいるという大きな池があった。堤防がない昔は、毎年兵庫川が越水氾濫し、田畑や家屋が浸水による被害を受け、村人を苦しめた。
 人々は、何とかして水害から逃れられるよう、虚空蔵菩薩・不動明王・阿弥陀如来などのみ仏と竜神の加護を念じて、この池の中に塔を建てて郷土の平安と村人の幸福を祈った。現在は、神宮寺が無くなり、池も小さくなったが、その中に地・水・火・風・空の安泰を祈念して、五層の塔が復元され、郷土の繁栄を見守っている。
(5) 長田池(春江町)
 長田池は、継体天皇を祀る長田神社境内にある。男大迹王と道麿の娘琵琶女との間に千鶴姫が生まれたが、この姫のうぶ湯の水を汲まれたのが長田池である。千鶴姫は、3歳の春に亡くなられ、下兵庫の大森円墳に埋葬されたという。
長田池 大森円墳
長田池 大森円墳


九頭竜川流域誌メニューへ
第5章メニューへ
戻る次へ
TOPに戻る

Copyright (c) 国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所 2001 All Rights Reserved.