九頭竜川流域誌


8.2 武生と紫式部

 武生は古代から越前国の国府であり、都から国司が派遣されてきていた。その一人が、「源氏物語」の作者で有名な紫式部の父の藤原為時である。為時は越前守に任じられ、式部も父と一緒に武生に来て1年半ほど逗留し、長徳3年(997)10月頃に都へ帰った。
 式部は武生に滞在しているとき、日野山やその麓を流れる日野川に降り積もる深い雪を眺め、都に想いを寄せた歌を詠んでいる。



暦に初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野の嶽といふ山の、
雪いと深うみやられるれば
ここにかく日野の杉むら埋む雪 小鹽の松に今日やまがへる
降り積みていとむづかしき雪を掻き捨てて山のやうにしなしたるに、
人びと登りて、 なほこれ出でてみたまへといへば、
ふるさとに帰る山路のそれならば 心や行くと雪もみてまし


 「帰る山路」は今庄町の鹿蒜と「帰る」を懸けたことばで、早く都へ帰りたいという気持ちを物語っている。
 紫式部は、「源氏物語」のなかにも武生でのことを思い出して書き綴っている。それは、「浮舟」の「たとへて武生の国府にうつろい給ふとも忍びて参り来なんを、なほなほしき身のほどは、かかる御為こそいとほしく侍れ」と、母親が娘の浮舟を慰めている言葉に武生が出てくる。


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