九頭竜川流域誌


8.3 地名と歌

(1) 玉江
 花堂南端から江端、大島にかけての一帯は、旧浅水川が氾濫して湿田が多く、葭などが生育して江をなしていた。花堂付近の地名「玉江」はその名残で、多くの歌が詠まれ、越前の名所であった。
 しかし、「玉江」という名所は、三国町にもあり、また摂津国(大阪府)島上郡にもあって、いずれの玉江か定かではないとされている。(越前国名蹟考)


玉江漕ぐもかり舟のさしはへて  波間もあらは よらんとそ思ふ
拾遺集・恋一 読人不知

夏かりの玉江の芦をふみしだき  むれいる田鶴のたつそらぞらき
後拾遺集

夏かりの 芦のかりねも あわれなり 玉江の月の あけかたの空
古今集・夏 藤原俊成

なつかりの玉江の芦の短夜に  見る空もなき月の影かな
忠房親王

月見せよ 玉江の芦を 刈らさぬさき
芭蕉 (※福井市史 p.153)


(2) 朝六ツ橋
 松尾芭蕉の「奥の細道」に、「あさむつの橋をわたりて、玉江の橋は穂に出でにけり」とある。このあさむつ橋には、新田義貞の妻である匂当内侍に関する悲恋物語がある。それは、義貞が越前平定も間近と思い近江国で待っていた匂当内侍に、越前に来るよう知らせたが、灯明寺の戦いで戦死してしまった。戦死を知らずに越前に向かった匂当内侍は、国府に引き上げる義貞の弟である脇屋義助と麻生津橋で出会い、夫の戦死を聞いて悲嘆にくれ気絶してしまった。みんなで介抱した結果、朝の六ツ時に気がついたので、その橋に朝六ツという名前がつけられた。
 朝六ツ橋は、北陸道を往還する人たちに親しまれ、多くの歌が詠まれている。


ことつてん ひとの心もあやうきに ふみたにもみぬ あさむつの橋
前中納言定家

浅水のあかむくことはよもあらじ  その如月の望月のころ
西行

朝六ツの橋は忍びて渡れども  とどろとどろと鳴くぞ侘しき
宗祗法師

たそがれに寝覚めてきけば朝六ツの  黒戸の橋のふみとどろかす
帰雁記 読み人知らず

あさむつや 月見の旅の 明けばなれ
芭蕉


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