九頭竜川流域誌


2. 古文書等にみられる代表的な洪水

 古代から開けた福井平野は、低平な沖積平野と九頭竜川などの豊かな水によって、奈良時代の東大寺領の荘園や、平安時代の興福寺領の荘園などの荘園経営が行われたように、すぐれた穀倉地帯であった。しかし、当時は豪雨のたびに“崩れ川”とも呼ばれたほど、しばしば氾濫を繰り返していた。古文書には、養老元年(717)に日野川松ヶ鼻堤防が洪水によって決壊したという記録が残されている。
 その後、江戸時代には福井藩が城下町を守るために、一部の地区において築堤を行ったが、殆ど無堤に近い状態であったため、融雪時や豪雨のたびに洪水が生じ、大きな被害が発生した。
 江戸時代において記録に残されている著名な洪水は、慶長2年(1597)、寛永20年(1643)、元禄14年(1701)、元文5年(1740)、宝暦7年(1757)、寛政12年(1800)、文化4年(1807)などであり、2〜3年に一度は大洪水による大きな被害を被っていたようである。
 明治期の九頭竜川改修に着手するまでは、3日も雨が降り続けば大水警戒のための「水太鼓」が方々で叩かれ、庄屋から水人足を徴用する触れが廻った。みるみるうちに堤防の無い所から浸水がはじまり、田畑が冠水して一面が泥海と化した。やがて屋敷にも水が上がり、年に2〜3回は壁に浸水の跡が残ったといわれている。飯米や衣類、そして布団などは屋根裏の物置(ツシと称されていた)に担ぎ上げられた。田の冠水が数日に及ぶと、稲はナマズのヒゲのようになり、稲のたけが秋になっても1尺5寸(45cm)程度で、収穫も1反(約1ha)に米が通常の50%程度にあたる3〜4俵(180〜240kg)もとれれば最高という有様であったと伝えられている。  
(※西藤島村史 p.701〜702)
表2.1.1に、古代から近世までの代表的な洪水および土砂災害を示す。

 表2.1.1(1) 古代から近世までの代表的な洪水および土砂災害
年代 記事
年号 年月日 西暦
養老 元. 717 大洪水。日野川松ヶ鼻堤防決壊、流路を変え東に流れる。
応永 9. 1402 越前国洪水。
天文 5. 1536 大洪水被害少なからず。
慶長 2. 1597 大洪水。足羽川堤防決壊。
寛永 7.6.19 1630 越前大風雨洪水。死者250人、家屋倒半壊950戸
10.11.21 1633 大洪水。人畜多く死す。芝原用水(城下食水)泥の如きこと数日に及ぶ。
20.6.22 1643 越前国中に大洪水。田19,550石、畑9165石流失。潰家408戸、死者14人に達す。
万事 3.8.19 1660 足羽川洪水、死傷者多し。
寛文 9.6.17 1669 北陸大雨洪水。
延宝 3.9.21 1675 大洪水と同時に津波が起こり、民家50余戸流失、人や家畜に死傷多し。田圃や宅地ことごとく流失。
貞享 4.9.9 1687 北陸風雨、洪水。
元禄 4.6.24 1691 洪水29日にいたる。日野川向新保の霞堤決壊。
12.8.15 1699 大爆風雨、越前死者多数。
14.8.18 1701 越前前代未聞(70年来以上)の大洪水。床上8〜9寸浸水。これにより以後、河川に土砂が堆積したため度々洪水が起こる
宝永 3.8. 1706 大風雨、損害すこぶる大。九頭竜川、竹田川大洪水、悪作。坂井郡に大雨、洪水。田圃損傷す。
5. 1708 松ヶ鼻大雨、洪水あり。今立郡洪水。
享保 6.7. 1721 梅雨明け豪雨、大洪水。丸岡領内洪水。
8.8.11 1723 福井城下大水。
11.2.29 1726 大風雨。融雪洪水。勝山に山津波、女神川氾濫、死者82人、損害大。
12. 1727 洪水。向新保(現武生市)の霞堤決壊。
15.7.24 1730 北陸大風雨。
18.6.21 1733 越前全域に大風雨、大洪水。
20.6.22 1735 越前、若狭で流壊家、死人多し。丹生郡山くずれ多し。
元文 5.7.1 1740 九頭竜川中流で家屋流出、飯島地区堤防決壊。城下大出水。
浸水高約32,735石、流失家屋32戸、潰家120戸、流失土蔵1棟、川除堤欠所81カ所(7,484間)橋損6橋、舟流出2隻、流死人15人(男7人、女8人)、流死馬2匹。
寛保 2.8. 1742 北陸大風雨。
延享 4.3.12 1747 日野川洪水。
寛延 3.7.2 1750 福井大水、所々損亡。
宝暦 6.9.17 1756 9月9日より雨連日、大水。元文5年の水に及ばされること1尺。
7.2.16 1757 九頭竜川氾濫、比丘尼塚決壊。数カ所堤防決壊。
7.5. 九頭竜川氾濫。北野向新田村で流失家屋4戸。
7.6.17 5日より出水。足羽川六条決壊、翌日午後になって水はじめて退く。前年、秋より増すこと7寸ばかり。
明和 3.4. 1766 洪水。九頭竜川右岸に洗われ、五領ヶ島村上合月で水田一面が土砂で埋まる。
5.6.1 1768 越前全般に大雨あり、各河川大水に堤防決壊すること20余ヵ所。

表2.1.1(2) 古代から近世までの代表的な洪水および土砂災害
年代 記事
年号 年月日 西暦
安永 5.8.7 1776 70年代来の大水という。
7.7. 1778 洪水。十郷用水の取水堰全部流失。
天明 3.7.14 1783 北陸諸国に風雨、各所に洪水。福井に大洪水、流失家屋300戸。
寛政 元.6.7 1789 大洪水。北野新田堤防大破により城下与力町浸水。松岡用水大破。大水4,5月より7月まであり。九頭竜川上・中流で堤防決壊、大野郡全域に大洪水、被害甚大。
3.8.20 1791 福井大風雨。大橋石欄干が38間吹倒、倒木8,067本、死者2名。
7.8.27 1795 大洪水。九頭竜川堤防(舟橋)決壊、堤防所々決壊。
12.5.14 1800 大洪水。九頭竜川平水より1丈4尺2寸余増水。不熟地366ヵ村。
享和 2.2.5 1802 日野川大洪水。
文化 元.8. 1804 洪水。福井領内322ヵ村が不熟。
3.3.9 1806 足羽川洪水あり。
4.9. 1807 洪水。十郷用水の取水堰全部流失。
12.6. 1815 足羽川に大洪水あり。
12.7. 洪水。福井領内312ヵ村が荒蕪。
13.6. 1816 洪水。福井領内442ヵ村にわたり大被害。
文政 8.8.14 1825 大嵐雨。九頭竜川近来稀有の災害。
8.9. 女神川氾濫。
天保 6.5. 1835 稲植付けに際し洪水氾濫。勝山城を浸す。
9.6.16 1838 越前大風雨、洪水。
11.2.22 1840 22日より25日まで出水。白鬼女川往来渡船沈没。人多く死す。
13.7.15 1842 大雨で特に九頭竜川大水。荒島山付近山くずれ、妙金島家流れ、溺死するものもあり。
弘化 2.6. 1845 丹生郡大雨、洪水。
3.7.18 1846 ハツ時より福井、前代未聞の大風雨。福井家東海破損 269戸、死者1名負傷4名、倒木596本。
4.7.18 1847 越前大風雨。福井城大損。
4.10. 鳴鹿川(現在の竹田川)洪水、田圃の損害多し。丸岡領烈風強雨。
嘉永 元.9. 1848 大野郡連日風雨。山塩湖湧出、田畑を損す。人や家畜が多数死す。
5.4.10 1852 足羽川成願寺籍堤防50間余破損。被害田20余町。
安政 元.7.16 1854 7月14日より度々出水。大水害の年なり。
2.5. 1855 洪水による流木で芝原用水の取水口埋没。断水騒ぎで昼夜兼行の復旧作業を行う。
文久 元. 1861 洪水。向新保(現武生市)の霞堤決壊。
慶応 2.8. 1866 大風雨。平泉寺白山社堂宇立木被害多し。九頭竜川流域破堤多し。
3.3. 1867 足羽川酒生村栂野堤防決壊し、水田約3町5反河原となる。
(※福井県の気象 昭和38年)
(※福井県土木史)(河川のルーツ)


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