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昭和35年(1960)の台風16号による洪水 |
台風16号により前線が活発となり、九頭竜川本川上流域の和泉村では時間雨量50mm前後の豪雨が続き、総雨量も大谷で500mm、朝日で384mmに達した。そのため、布施田・中角・深谷地点において警戒水位を越えた。
被害は、流失家屋2戸、浸水家屋109戸、田畑の流失・埋没・冠水148haであった。 |
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昭和36年(1961)の第二室戸台風(台風18号)による洪水 |
9月16日午前9時30分頃室戸岬付近に上陸した台風18号は、昭和9年(1934)の室戸台風とほぼ同じコースを通って北東に進み、神戸の東部から京都府南部をかすめ、午後3時頃に福井県の小浜市と敦賀市の間を通過して若狭湾に抜けた。この時の中心気圧は940hPa、最大風速55m/s、東側370km、西側100km以内は暴風雨であった。その後、台風は北東に向きを変えて次第に速さを増し、越前町付近を通り午後4時には坂井郡三国町付近に達し、午後5時には能登半島を横ぎり富山湾に抜けた。
九頭竜川本川上流の奥越地方では、14日昼頃より夜半にかけて雷を伴った強い雨が降り、1時間50mmを越す局地的な集中豪雨となった。南大谷では15日午後3時より8時までの5時間に240mmを記録した。その後、雨は16日正午過ぎより強まり、午後4時〜6時過ぎまで1時間40mmを越える豪雨となり、降り始めからの総雨量が平野部で100〜200mm、山間部で
200〜450mmとなった。図2.1.10に総雨量分布を示す。
この台風がもたらした降雨により、九頭竜川の中角地点と布施田地点、日野川の深谷地点で計画高水位を突破し、昭和34年の伊勢湾台風時の水位と同程度の高水位を記録した。
九頭竜川流域の被害は、流失や損壊した住家が125棟、床上浸水家屋数が1,740棟、床下浸水家屋数が2,621棟、被害額が5,778百万円にのぼった。 |
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昭和39年(1964)7月の洪水 |
7月6日夜から7日夜にかけて梅雨前線が福井県北部付近に停滞しているところへ、低気圧が前線上を山陰沖に東進したため降雨があり、8日正午前後には奥越地方の中小河川が増水し、午後5時頃には九頭竜川や足羽川の中流域(福井市)でも水位が高くなり、被害が発生し始めた。9日午前3時頃に若狭湾付近において低気圧が発生し、再び前線が活発になって、総雨量が平野部で約200mm、山沿地方で300〜400mmに達した。このため、中角・深谷地点において警戒水位を越え、布施田地点では計画高水位を越えた。
九頭竜川流域の被害は、流失・損壊した住家が1棟、床上浸水家屋数が2,435棟、床下浸水家屋数が3,612棟、農地および宅地等の浸水面積が8,593ha、被害額が565百万円にのぼった。 |
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昭和40年(1965)9月の洪水 |
九頭竜川流域で昭和40年9月に連続して発生した洪水は、明治以降の記録に残る洪水のなかで最大規模のものとなった。九頭竜川流域では、9月8日から18日までの10日間に台風23号、前線による集中豪雨(奥越豪雨)、台風24号と連続して豪雨に見舞われ、記録的な雨量となった。
9月8日から18日までの九頭竜川流域の被害は、流失した住家が114棟、損壊・床上浸水家屋数が3,467棟、床下浸水家屋数が7,504棟、一般資産等被害額が2,486百万円に及ぶ大災害となった。 |
1) |
台風23号(9月8日〜11日) |
9月9日午前9時頃から翌日午前9時までの雨量は、九頭竜川流域の山間部で100mm前後、平野部で30〜50mm程度であった。台風が日本海に抜ける10日午前12時頃から福井県は暴風雨圏内に入った。その午前11時〜午後1時にかけて、奥越地方山間部で1時間に20〜30mmの強雨があったが、午後2時には雨も弱まった。降り始めからの総雨量は、山間部で200mm前後、平野部で50〜100mmであった。図2.1.11に総雨量分布を示す。
台風23号による人的被害は、死者3人、重軽傷者73人であった。
台風23号の特徴は、風台風であり9月10日午後1時43分に最大瞬間風速42.5m/sを記録した。また、奥越地方の山間部では9〜10日の2日間に200mm前後の降雨があったが、多雨域が狭く、平野部でも比較的少ない降雨であったこから洪水による被害は少なかった。 |
2) |
奥越豪雨(9月13日〜16日) |
前線が台風24号の北上とともに北へ押し上げられ、14日には本州上に停滞したため、いたるところで集中豪雨となった。
福井気象レーダによると強雨域は、奥越地方を中心に南北に細長く、岐阜県揖斐川上流から福井県大野郡西谷村まで約50kmに及んだ。九頭竜川流域では、奥越地方に集中して激しい降雨が生じた。14日午後9時前後には雷を伴う豪雨となった。その後、15日朝になっても強雨域は変わらず、午後3時を過ぎてから東の方に動き出し、集中豪雨は終息に向かった。
13日から15日までの流域最大雨量は、真名川流域の本戸で時間雨量89mm(14日午後8〜9時)、日雨量844mm(14日9時〜15日9時)、総降水量1,044mm(13日9時〜16日9時)を 記録した。また、午後7時から12までの5時間に400mmと、まさに滝のような雨が連続した。
このような集中豪雨によって、西谷村中島地区では笹生川、雲川、鎌谷川の越水・氾濫に加えて土砂災害によって154世帯中58戸が流失し、86戸が土砂に埋没するという壊滅的な被害を受けた。九頭竜川流域で流出した土砂は約65万5千m3に及び、そのうち約17万5千m3土砂が中島地区に流れ込んだ。(※40.9三大風水害の記録 p.86)
九頭竜川流域の総雨量は、図2.1.12に示すとおりであり、本戸を中心に1,000mmを越す多雨域が細長く分布している。
九頭竜川の布施田地点日野川の深谷地点では、警戒水位を突破した。中角地点では、計画高水位下0.2mまで上昇した。
奥越豪雨の特徴は、 日雨量で844mm、総雨量が1,044mmという未曽有の豪雨であり、強雨域が南北に長く、幅10数km、長さ50kmの狭い区域であった。
奥越豪雨による被害状況は、死者・行方不明者11人、重軽傷者24人、全壊・半壊・流失した家屋354戸、床上浸水家屋1,052戸、床下浸水家屋1,586戸、耕地被害面積2,136haであった。9月15日には、大野市、勝山市、西谷村、和泉村に災害救助法が発動された。 |