九頭竜川流域誌


2.3 堤防による治水の始まり
図2.2.1 木部周辺図

 平安時代の長保5年(1003)8月下旬の豪雨で、兵庫川と竹田川が合流する鬼辺(木部)郷の田畑が20日間も浸水した。そこで、翌寛弘元年(1004)5月3日より水除けを目的とした信海堤をおよそ100町(10.91km)築き、さらに同2年(1005)には鬼辺(木部)堤をおよそ100町築立して信海堤と結んだ。これを当時は舟形堤と称していたが、霞堤のことである。このような堤防は、やがて必要に迫られて各所に築造された。なお、舟形堤は、堤防の下幅が2間(3.6m)、上幅が1間(1.8m)、堤高9尺(2.7m)という規模のものであり、工事に携わった人夫総数は64,800人にも及んだと伝えられている。この堤防は、江戸時代に完成した木部(鬼辺)輪中堤の原形となるものである。
(※春江町史 p.148〜149)


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