九頭竜川流域誌


3.2 柴田勝家の時代

 織田信長は天正元年(1573)8月に朝倉氏を滅亡させ、さらに同3年9月越前一向一揆を掃討した後、柴田勝家を北ノ庄に封ずることで北国支配の万全を期した。勝家は、北ノ庄に築城し城下町を建設して北国支配の拠点とした。また、北国征覇の手段として交通政策を重視し、天正6年(1578)には九頭竜川の高木〜森田間の川幅101間(183.6m)に48艘の舟を鉄鎖でつないだ舟橋を造り、併せて近江との国境にある栃ノ木峠を開くなど北陸街道の整備に勤しんだ。一方、足羽川と荒川の合流点に築いた城を中心にして、その周辺には民家などを配置してまちの輪郭を整えた。なお、足羽川を挟む南北の交通を良くするため、一部に石材を使用した九十九橋を架けた。
(※福井市史T p.85〜87)
柴田神社の柴田勝家像
柴田神社の柴田勝家像

 このように勝家は、交通政策に力を注いだが、治水に関する記録は残されていないため、どのような政策を執ったかについては不明である。



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