九頭竜川流域誌


5. 明治時代の治水工事
5.1 明治初期

 明治2〜3年(1869〜1870)に福井藩は、藩主松平慶永の命により幕末の激動期にもかかわらず治水策を講じて、旧高100石につき正米3俵、人夫30人を賦課し、九頭竜川左岸は吉田郡寺前より日野川合流点まで、右岸は漆原旧堤に接続して六日市までの新堤築造に着手し、さらに高屋から正善の木部堤まで順次施工する計画であった。しかし、明治4年(1871)7月14日の廃藩置県公布により藩政が廃止されることとなったため、すべての工事が中止された。(※春江町史 p.384、西藤島村史 p.681〜682)
  明治3年(1870)に旧幕府直轄領に本保県が設置され、翌4年7月には本保県から堤防取締役として、豪農の中から丹生郡担当1名、南条郡担当1名、大野郡担当2名、そして坂井郡担当1名が任命された。しかし、「廃藩置県」の詔勅の発布と県の変遷によって制度が変わり、行政機構にも変化が起きたため、堤防取締制度も無くなった。


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