九頭竜川流域誌


5.4 明治改修の夜明け前

 明治以降の治水工事は、江戸末期から明治初めの福井藩による治水工事に大きな期待が寄せられていたが、九頭竜川左岸の寺前から郡(ともに現福井市)までの一部を完成したのみで廃藩置県により中止された。その後、明治14年(1881)より福井県となったものの、財政難のため執行されなかった。その間、至る所で水害が頻発し、その都度住民たちは地租納期の延期を県に願い出るなどしていたが、抜本的な治水対策の一日も早い実行を願って請願を続けた。
 度重なる洪水被害に業を煮やした住民たちは、県に陳情を繰り返した。その願いが届いて県会では、明治25年(1892)に治水問題を取り上げ、九頭竜川は吉田郡下志比村より下流を、日野川は足羽郡東安居村より東藤島の郡村(ともに現福井市)まで、足羽川は足羽郡東郷村(現福井市)より日野川合流点までを調査することを議決した。そして、明治27年(1894)、この調査を基に堤防築造の計画を立てるとともに、工事の諸準備に着手した。
 ところが、明治28年(1895)、29年(1896)と大洪水に見舞われ、河道の状態が著しく変貌したため、計画を再考する必要が生じた。同時に、福井県下一帯が大災害に見舞われたため、その方の対策に翻弄されたが、再調査の結果、明治30年(1897)には計画立案を終え、予定工費381万円を計上することとなった。しかし、このような巨額では県民の負担にとうてい耐え難く、工事を起こすことの議決をとることが難しい状況となった。

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