九頭竜川流域誌


6.3 五領ヶ島地区の改修工事

 九頭竜川は、鳴鹿地点において本流である表川と丸岡町と松岡町との境を流れる裏川とに分かれ、その中州には輪中の集落が存在していた。しかし、洪水の都度、五領ヶ島では甚大な被害が発生していたため、昭和初期より裏川を締め切る計画が浮かんでは消えるということを繰り返えしてきた。
  分流する九頭竜川を表川のみに一本化し、裏川を埋め立てて農地造成することは、治水と新田開発の一石二鳥であるということから、昭和30年(1955)頃からは、国と県および地元の松岡・丸岡両町の三者間において積極的に議論が重ねられていた。
  九頭竜川本流の表川は、下流が広くなっているものの上流が狭く、流水の疎通が悪いため、上流部分を拡幅して疎通をよくすれば、治水上からは補助的な役割でしかない裏川を残すよりも効果的である。また、裏川を閉じて廃川として土盛りをすれば農地造成が可能である、という観点で三者が歩み寄り、農地の埋立造成を含む事業としてまとめることとなった。
 そうしたなか、昭和34年(1959),35年(1960)と続く洪水によって大きな被害が生じたため、災害助成工事として裏川の締め切りが決定され、それに関連する工事が昭和35年度より進められ、九頭竜ダムの完成を待って昭和43年(1968)度に締切られ現在の姿となった。

図2.2.6 五領ヶ島地区での九頭竜川の状況(明治42年測図、昭和5年修正)
図2.2.6 五領ヶ島地区での九頭竜川の状況(明治42年測図、昭和5年修正)

 この工事は、表川に接する五領ヶ島地区の農地約26町歩(25.8ha)を切り崩して、堤防を後方に移して構築するほか、松岡町側の堤防の根固め工事を行ったものである。総工事費は、5億7,842万円であった。
  この表川の拡幅工事の完成によって、豪雨になると表川と裏川の両方が濁流渦巻き、氾濫を繰り返し、その都度村々の人たちは荷車に家財を積んで、松岡町や坂井郡の方面に避難してきたのが解消され、雨期の心配が無くなった。(※松岡町史 p.412〜413)


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