九頭竜川流域誌


1.4 福井地震による災害復旧工事と計画

 昭和23年(1948)6月28日に発生した福井地震は、福井平野直下型地震であり、地盤の沈下が1〜5mにも及び、河川構造物の倒壊はもちろんのこと、明治期後半の改修工事で施工した堤防も、場所によっては原形を留めないほど陥没・沈下・崩壊するなど、河川に大きな被害をもたらした。そのうえ、震災後の7月23日より豪雨となり、7月25日には低くなった堤防を濁流が越流して、宅地や水田を湖水と化すなど惨状を増長させた。また、震災復旧工事の進んでいない堤防および護岸は、さらに被害を受けた。
  地震および洪水によって九頭竜川、日野川、足羽川の堤防・護岸および樋門・樋管などの河川施設は、壊滅的な状態となった。この災害復旧工事は、大震災の直後の7月に福井県当局により実施され始めたが、莫大な事業量であり、福井県独自の力では完遂することは不可能であるとして、8月1日をもって近畿地方建設局の委託工事に移され、ついで11月16日以降において直轄災害工事に切り変えられた。
 さらに、工事の途中において来襲する台風や大雨による出水を克服しつつ、約210万m3の築堤工事、約254千m2の護岸・根固工事、35ヵ所の悪水樋門改築工事などを進め、昭和28年(1953)3月に5ヵ年を要した災害復旧工事を竣工した。
 堤防復旧工事は、延長が95km余にも及び、沈下・崩壊などによる復旧土量が約210万m3に及ぶ大工事であった。特に、日野川合流点より九頭竜川本川上流部の破損が激烈を極め、出水に対して全面的な危険にさらされていた。そこで、まず全川を計画高水位の高さまで、堤防をかさ上げすることとした。昭和23年(1948)12月の完成を目指して、築堤に必要な土量約60万m3を確保して工事が進められた。計画高水位以上のかさ上げについては、施工難易および予算を考慮しつつ、順次施工することとした。
 護岸復旧工事は、水衝部にあたる箇所、出水時に危険な箇所、放置すれば破堤の恐れの大きな箇所、決壊により締切った箇所などを対象に実施していった。その他の箇所は、河状と旧護岸形状等を研究して、再度災害を被らない工法を用いて復旧する計画とした。
 法覆工は計画天端まで仕上げずに、計画高水位より2m下り、もしくは1m下りなどに区分して、全川予算配分を考慮つつ工事を進めた。特に、根固工事に重点をおいた施工を行った。
 悪水樋門(排水樋門のこと)の復旧工事は、沈下亀裂、倒壊、消失したもののうち、排水不能のため耕作に支障を来すもの、特に破壊状況の激しい箇所など、早急に復旧を要する樋門を対象にして、石造の再利用可能な部分を除き、鉄筋コンクリート構造で復旧した。
 九頭竜川本川の堤防復旧工事は全面的に請負形式と決定し、日野川、足羽川は機械化施工とし、一日も早い復旧を目指すこととなった。また、急を要する護岸工事の一部を請負によって施工することとした。
  昭和23年(1948)10月工事監督する出張所は、工事量の多い九頭竜川本川上流部に重点を置き、右岸は森田町地先に第一、第二出張所を設置した。また、左岸は対岸の中藤島村舟橋地先に第三、第四出張所を設け、本川の工事を担当させた。その後、第二出張所を昭和24年には三国町汐見、昭和25年には福井市出作に移して足羽川の復旧を担当した。また、第四出張所は、昭和24年に西藤島村海老助に新設し日野川、九頭竜川下流を担当した。

 表2.3.4 災害復旧工事施工区間
河川名 区域 距離
九頭竜川 左岸:吉田郡松岡村より河口に至るまで。
右岸:坂井郡鳴鹿村より河口に至るまで。
26.0km
支川 日野川
足羽川合流点より九頭竜川合流点に至るまで。 7.1km
支川 足羽川
左岸:足羽郡東郷村より日野川合流点に至るまで。
右岸:足羽郡酒生村より日野川合流点に至るまで。
14.3km
図2.3.2 災害復旧工事図(※九頭竜川災害復旧工事誌 p.158)


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