九頭竜川流域誌


1.3 九頭竜川第一期改修工事

(1) 改修工事着手への道程
 明治31、32年両年度においては、議会解散および政府財政の都合により九頭竜川改修に着手するにはいたらなかったが、内務省は同33年(1900)度予算に利根川および庄川とともに改修費を編入することに決定した。
 一方、内務省は福井県より提出された設計および予算について、第四区土木監督署に命じて再調査を行わせた。同署は予算全体に更正を加え、県の設計の中に足羽川上流福井市より前波に至る約2里(約8km)の追加を行った。当該地区は、福井市を洪水から守る上で最も重要であるとともに、右岸堤防は鉄道開通以来県の重要道路に属し、県道大野道にも兼用されており、破堤が生ずれば交通上重大な障害を来たすことになる。また、関係区域が比較的広範囲となれば、足羽川改修を福井市だけに止めるのは、いわゆる「功を一簣に虧く(功虧一簣)」(仕事が完成する前の最後の努力の大切さをいう)という感があるので、当該地区を追加編入した。その結果、政府は国庫より2,772,258円3銭6厘、地方より1,038,951円96銭4厘、総額3,811,210円の工費をもって、明治33年(1900)度より同42年(1909)度にわたる10ヵ年の継続事業とすることが帝国議会に提出された。
 明治31年(1898)3月、河川法による改修施行区間が表2.4.1のとおり告示された。
表2.4.1 河川法適用河川区域(2条)
河川名  告示年月日   区域 
九頭竜川 明治31年3月14日
内務省告示第22号
左岸 吉田郡松岡町
右岸 坂井郡鳴鹿村
以下海に至る。
明治33年2月 
左岸 吉田郡下志比村
右岸 坂井郡鳴鹿村
以下海に至る。
支川 
日野川
明治31年10月31日
内務省指令第88号
左岸 足羽郡東安居村下市
右岸 足羽郡東安居村角折
下流九頭竜川落合に至る。
明治33年2月  
      
左岸 南条郡南杣山村鯖波
右岸 南条郡南杣山村鯖波
下流九頭竜川落合に至る。
明治34年4月 
      
左岸 南条郡湯尾村湯尾字井上
右岸 南条郡南杣山村鯖波 
下流九頭竜川落合に
至る。
支川
足羽川
明治31年10月31日
内務省指令第88号
左岸 足羽郡木田村木田地方
右岸 福井市豊島中町 
下流日野川落合に至る。
明治33年2月  
      
左岸 足羽郡東郷村脇三ケ
右岸 足羽郡酒生村篠尾 
下流日野川落合に至る。
支川
七瀬川
明治40年2月16日 不明

 明治33年(1900)3月、内務大臣は河川法第8条に基づいて、同年度より国直轄で九頭竜川改良工事施工の旨を告示し、その区域を表2.3.3のとおり定めた。
 同年4月より第四区土木監督署において工事に着手し、その後内務省名古屋土木出張所(第四区土木監督署を改称)において引続き施工された。起工以来7ヵ年を経過する頃には、すでに築堤の過半は目を見はる効果をあげ、その他保安林の編入および砂防の施設の完備をもって改修工事全体の竣功とした。
 これら内務省時代の九頭竜川改修事業は種々の困難を極め、多年にわたって施工されたが、工事費381万円余を要して、明治44年(1911)に第一期改修工事は完了した。
 事業費の年度別を示すと、表2.4.2のとおりである。なお、年度は明治である。

表2.4.2 年度別事業費 (単位:円)
年度 33年 34年 35年 36年 37年 38年 39年 40年 41年 42年 合計
国庫 0 570 350 340 340 250 280 280 280 82.258 2,772.258
県負担 125 125 125 125 100 100 100 100 100 38.951 1,038.952
合計 125 695 475 465 440 350 380 380 380 121.210 3,811.210

(2) 計画の基本方針
 第一期改修工事計画当時における九頭竜川本川の河道状況は、無堤のところが多く、藩政時代から明治初年にかけて築堤された堤防も、霞堤や越流堤で構造的にも脆弱なことから、明治時代の4大洪水のような大洪水には勿論のこと、中小洪水に対しても氾濫被害をもたらしていた。さらに屈曲部が多く、その上河積の不足する箇所が随所に見られ、水害に拍車をかける大きな要因となっていた。
 しかし、全川にわたって改修を行うことは容易でないことから、先ず洪水のたびに大きな被害が生じる下流部から着手することになった。
 そこで、明治29年(1896)に公布された河川法に基づいて、翌30年(1897)11月に九頭竜川改修計画の基本方針が成立した。その内容は、当時の資料によると以下のとおりである。

1)   夫本川の如き、殆ど無堤の状況にある河川に於て、堤防を築設し以て洪水を防御するものにありては、従来の水理関係を一変するものなるを以て、その利害得失に関し最も慎重なる調査、極めて周到なる考慮を加え、遂に全部築堤の得策なるを認め、之を施行することとする。
2)   而して無堤の河川に堤防を築設するに当り、高水位の昇騰は勢い免る能はざる処なれども、本川に於いては沿川市街支川水位の関係上之を許さざるを以て、従来の最高水位を程度とし水面勾配を規定し、以て上記の最大高水流を流通することとせり。
3)   而して其水路の如きは、著しき変更を要せざるを認めたるを以て、現在の水路を拡張し改修を加ふるの方針を採れり。
4)  而して沿岸の土地高燥なるを以て、掘削に依れる河積拡張は努めて之を避け、河幅に依りて河積を得ることを主としたり、然れども河口は、地勢上河幅拡張を許さざるを以て、専ら浚渫に依り洪水の疎通を図り、傍ら三国港に出入する船舶の便益を増進することとせり。
 さらに、河川水運についても大いに考慮されたのである。水運の問題は、特に三国港と内陸の要衝福井市とをつなぐ足羽川筋において重要視された。

足羽川放水路については、次のような計画が立てられた。

5)  足羽川は足羽郡角折水越地内に於いて長13町、また、これより上流の同郡明里地内に於いて長4町、幅員各80間の放水路を新設することとせり。是れ迂回する現水路を拡張するよりも、費額少なくして其効大なるを以てなり。
6)  又現水路は之を遮断するを以て得策なるが如しと雖も、新水路の勾配急峻にして低水流速6尺以上に達し、特殊の設備を為すにあらざれば通船に障碍を来すべきを以て、新水路は単に洪水分流の目的に供し、全流量2万5千立方尺の内、現水路に由りて1万5千立方尺を通過せしむることとせり。

 江戸時代の河川工事の特徴として、特に大都市周辺では、一方で治水を考慮し、また他方で主要な輸送手段として舟運に配慮し、低水位を維持するため蛇行させる形態をとる方法がしばしばとられている。この足羽川下流の場合も例外でなく、この方法が採用された。したがって、河川のこのような場所には、舟運のための溜り場が形成され賑いをみせた。
(3) 計画の内容
 本計画では、在来の水路を拡張し改修を加える方針を採り、従来の最高水位であった三国町量水標の水位8尺(2.42m)および福井市量水標の水位13尺(3.94m)を両所の計画高水位として定め、その中間〜上流および河口に適当な勾配をつけた。また、川幅は九頭竜川本川下流300間(545m)、上流森田付近140間(255m)、日野川100間(182m)、足羽川福井市下流80間(145m)、その上流80〜100間(145〜182m)とした。
 工事は、九頭竜川本川については両岸堤防を連続させるなど増築工事を施し、日野川については河床を掘削することにより河積の不足を補うこととした。また足羽川は、足羽郡東安居村大字水越地内において長さ13丁(1.4km)、同郡同村大字明里地内において長さ4丁(0.4km)、幅員各80間(145m)の放水路を新設することとした。しかし、在来水路は遮断した方が得策であったが、新水路の河床勾配が急であり、低水時の流速6尺/秒(1.8m/s)以上に達し、通船に障害を来たすため、新水路は単に洪水分流を目的とし、全流量25,000立方尺/秒(700m3/s)の内、在来水路で10,000立方尺/秒(280m3/s)、放水路で15,000立方尺/秒(420m3/s)を流下させることとした。福井市内においては、左岸を堤防によって保護し、右岸については築堤の余地がないので、石積を計画高水位以上1.2mに改築した。足羽川上流については、幅員狭少の箇所を拡張し、その他の箇所は全て堤防を増築した。


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