九頭竜川流域誌


2. 昭和時代の改修
2.1 福井地震と災害復旧工事
2.1.1 福井地震

 昭和23年(1948)6月28日午後5時14分(夏時間:現在の6時14分)、福井市北方の地下約10kmを震源とするマグニチュード7.1の直下型地震が発生した。
 被害地域は、福井県嶺北と石川県の一部のみの小範囲にとどまったが、その被害は死者3,769人、家屋倒壊36,184戸、半壊11,816戸、焼失家屋3,851戸と関東大震災に次ぐ大災害となった。土木施設にも致命的な被害をもたらし、道路の被災延長が599km、各河川に架けられていた木橋・コンクリート橋の区別なく転落・倒壊し原形をとどめるものが一つもなく、河川でも九頭竜川本川・日野川・足羽川・竹田川などの堤防が約1〜5m沈下・陥没し、その総延長が140kmにも及んだ。
 
図2.4.1 福井地震の震度分布(気象庁1983)

 震度は、震央付近でYの烈震であり、その範囲は南北約60km、東西約20kmで、その他は県下一円が強震、震央を中心に約150kmの範囲にあたる金沢・彦根・宮津・名古屋・亀岡・京都・橿原・甲府などが中震で、有感区域が半径450kmの範囲であった。
  福井平野では、全壊率が100%に達する集落が多く見られた。この地震の被害を契機として気象庁は、震度階級に震度Z(激震:家屋の倒壊率30%以上)を策定した。

図2.4.2 福井地震時の震央と地震断層 (※日本の活断層 1991) 図2.4.3 土地の変動量(単位:cm)

  福井県は、地震直後に「福井県震災対策本部」を設置し、救助・救援のほか、震災応急処置を県民とともに総力を挙げて取り組むこととなり、各地からも救援物資を持って救援に駆けつけ、震災復興が力強く進められた。
  河川については、出水期を迎える時期であり、九頭竜川・日野川・足羽川などの堤防の陥没が著しい箇所を対象に、沈下の少ない部分の高さまで土のう積みを行うとともに、堤防の亀裂補修などを実施して、出水に備えることとし、応急堤防復旧計画を作成して9月13日完成を目指して着手された。
 応急復旧工事にあたっては、青年団や勤奉隊などの協力を得て、材料不足や交通事情などを克服し、県内外から苦心して入手した俵縄や竹材などを使って、土木経験のない人たちの昼夜をとわない努力により、一部が7月13日に完成し、さらに第二次応急復旧に着手された。しかし、7月24〜25日の大出水により、応急復旧した堤防などが一瞬にして決壊し、平野は一面泥海と化した。
 その後は、一刻を争う緊急的な大工事であるため、建設省直轄で工事を遂行することとなり、8月1日をもって建設省近畿地方建設局の委託工事に移行し、さらに11月16日以降は、直轄災害復旧工事に切り替えて施工されることとなった。
中角橋の落橋状況 福井のシンボル大和百貨店の崩壊状況
中角橋の落橋状況 福井のシンボル大和百貨店の崩壊状況
福井平野東部の土石流災害 芦原旧北潟村浜坂の地滑り
福井平野東部の土石流災害 芦原旧北潟村浜坂の地滑り


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