九頭竜川流域誌


2.1.2 災害復旧工事

(1) 概要
 地震による地盤の沈下が1〜5mにも及び、構造物の倒壊はもちろんのこと、明治後半の改修工事で施工した堤防も、かなりの箇所で滑り破壊などのため、地割、陥没、崩壊が続出し、締切箇所などは原形を留めない程の沈下を生じた。これに続いて7月23日より豪雨になり、全川は危険な状態に陥ったが、水防の対策は土俵のみで他に施しようもなく、ついに7月25日、濁流下に没するなどの惨状を呈した。なかには、400mの区間にわたって堤防および護岸が崩壊し、民家10数戸が水中に没した所もあった。また、河川が堰止められ、水位が3〜4m上昇して倒壊している家屋に浸水するという甚しい被害もみられた。
 
中角橋畔に建てられている九頭竜川震災復旧記念碑
中角橋畔に建てられている
九頭竜川震災復旧記念碑
下流は蛇行がひどく、地震によってさらに変動をきたし、地滑りを生じて両岸に生育している雑木林は陥没によって倒壊し、河相が変ったところもあった。この災害復旧工事は、大震災の直後の7月に福井県当局により行なわれたが、混乱の極限にある県独自の力では完遂することは不可能であるとして、8月1日をもって近畿地方建設局の委託工事に移された。そして、11月16日以降は直轄災害復旧工事に切りかえられ、築堤約210万m3、護岸・根固工約254千m2、水制工約1,800m、悪水樋門35ヵ所などの約8億5千万円の工事を進め、昭和27年度に完成した。
(2) 九頭竜川本川、日野川および足羽川の被害状況
 1) 九頭竜川本川右岸上流部(五松橋〜舟橋間)
 この区間は、県道として利用されていた箇所である。当該区間の上流4km間は圧密沈下が主であり、1.5〜2.0mの沈下を生じた。さらに、五松橋下流5km付近からは高水敷幅が狭いため沈下が著しく、堤防前面の滑り出しと圧密沈下とによって、沈下陥没が2.5m〜4mにも及んだ。特に上森田付近は、堤防前面の滑り出しが大きく沈下も甚だしかった。五松橋〜舟橋の7kmの区間は、堤防天端に数条の大亀裂を生じたため交通が不能となった。また、前面石積と低水護岸は、全て滑り出しまたは崩壊した。
 2) 九頭竜川本川左岸上流部(五松橋〜舟橋間)
 右岸同様五松橋下流4km付近までは、沈下も1.5〜2.0m位で主に圧密沈下であったが、流心が左岸に沿っているため、護岸根固の被害が大きかった。また、五松橋下流5km付近より沈下が激しく、舟橋付近では2.5m以上沈下した。この間は、天端に大亀裂が数条みられた。
 3) 九頭竜川本川右岸中流部(舟橋〜日野川合流点間)
 本区間のうち、JR北陸線〜京福電鉄間は2.5〜3mの大沈下を生じた。特に、中角橋付近では堤脚に流心が当たっているため、根固枠が滑り出して河中に傾き露出したため、石張護岸が崩れた。堤防法面は、前面に滑り出し沈下が激しかった。また、高屋橋付近も水衝部であり護岸の崩壊、根固工の滑り出しなど被害は大きかった。
4) 九頭竜川本川左岸中流部(舟橋〜日野川合流点間)
 JR北陸線より下流約700mは、改修当時、河状を整えて旧河川敷に築堤したため、前面に流水が当たり、堤内は水溜り箇所のため、沈下は4m位と最も甚だしい箇所であった。また、1ヵ月後の大洪水により、約300mにわたって破壊し大被害を生じた。中角橋より下流は、右岸同様に1.5〜2m程度の沈下であった。
5) 九頭竜川本川右岸下流部(日野川合流点〜新保橋間)
 日野川合流点から布施田橋付近までは、1〜2m程度の圧密沈下であった。また、池見付近は旧川締切部のため、約1,000m区間が滑り出しによって大沈下を生じ、7月25日の洪水により700m程堤防が決壊した。さらに下流は、約1mの沈下であった。
 低水護岸の石積と根固詰杭は、殆どが前面に滑り出し崩壊した。特に池見付近の水制工は、2m程度沈下し水制の機能を失った。
6) 九頭竜川本川左岸下流部(日野川合流点〜終点砂丘間)
 この区間は、布施田橋付近までが1〜2m程度の沈下した。さらに下流部では、浜四郷村下野地先の流心接近部で、滑り出し沈下が2m位となった。他は1m内外の沈下であった。
 護岸は、浜四郷村下野地先の水制工が1.5m沈下するとともに、全部滑り出し崩壊した。
図2.4.4 九頭竜川堤防被害状況
7) 日野川(本川合流点〜足羽川合流点間)
 この区間の右岸は、沈下が1.5m程度であったが、下流2kmの区間では2m程度となった。左岸は平均して1.2m程度の沈下で、護岸は水衝部の石積、根固工、詰杭工に被害が多く、なかでも石積は殆ど崩壊した。
8) 足羽川
 右岸の堤防は、平均して1.2m(洪水位上の余裕高)位の沈下であった。そのうち福井市中心部の1,500m区間は特殊堤となっており、計画高水位までが練石積で、その上1.2mがコンクリート壁であったが、福井市内の地盤沈下とともに練石積が亀裂および沈下を生じ、上部コンクリート壁は倒壊した。上流部は県道としても利用されていたが、大亀裂とともに沈下したので交通に大支障を生じた。左岸の堤防は、福井市中心部付近が2m程度沈下して、7月25日の出水時に危険に頻した。上流の沈下は1.2m程であったが、護岸は右岸同様全壊であった。
9) 悪水樋門の被害状況
 施工区域内の用水・悪水樋門は殆ど被害を受けた。特に悪水樋門は、下流部に軟弱地盤が多かったため、被害が甚大となった。(悪水樋門:現在の排水樋門のこと)
(3) 復旧工事の計画と対策
 1) 堤防復旧工事
 工事延長は95km余に及び、沈下、崩壊などによる復旧土量は約210万m3である。特に、日野川合流点より九頭竜川本川上流部が激烈を極め、出水に対して全域が危険にさらされている状況にあった。そこで、まず全川を計画高水位の高さにまで、天端幅を4.5mとしてかさ上げすることとした。これに必要な土量は約60万m3であり、この工事を昭和23年(1948)中に施工できれば全川の安全度は同一となり、沿川の住民は安心して復興に立上れることから、同年12月の完成を目指して実施することとなった。残りについては、施工難易によって予算と併行しなから順次施行することとなった。
 2) 護岸復旧工事
  測量当時は水位が高かったため、詳細な実測が不可能であったので、水当り箇所、出水時において本堤が危険な箇所、放置すれば出水によって破損する公算の大きな箇所、決壊箇所で締切った前面などについては緊急に応急措置を施すこととした。その後は、河状や旧護岸工法を研究し、再度災害を被らない工法でもって復旧する計画とした。さらに、予算変更などの場合を想定して、法覆工は計画天端までを一気に仕上げず、計画高水位より2m下り、1m下りなどに区分して、全川予算配賦を考慮しつつ工事を進めた。特に、根固工事に重点をおいた。護岸工事は、当初の測量時より調査が進むにつれて、全体が崩壊していることを発見したために、工費の節減を計り、全箇所が復旧できるように施工法などに工夫をこらした。
3) 悪水樋門復旧工事
 小さい樋管は、土中に埋没してしまったものが続出したため、調査が進むに従って破損箇所数が増加した。当時の樋門構造は、石造および煉瓦造であったため、縦断方向に弱点を持っており、折損または大亀裂等を生じ、排水不能になった箇所が多く見られた。樋門の損傷は、沿川1万数千町歩にとって死活問題であるので、急を要する箇所のみ直ちに応急復旧を行い、順次緊急の度合いに則って全体を速やかに復旧する計画とした。
4) 復旧対策
  九頭竜川本川の堤防復旧工事は全面的に請負方式に決定し、日野川、足羽川は機械化施工とした。これは、その頃建設省において国産建設機械育成へ乗り出したところであったので、特に他の地方建設局に割当予定の機械を当工事に振り向けてもらった。また、急を要する護岸工事の一部を請負によって施工することとした。
 そこで、一工区の施工能力を5万m3と考えて、緊急堤防かさ上げ箇所を14工区に分けた。また、九頭竜川本川を挟み、器材運搬の利便性から左、右岸に区分し、あわせて施工能力を考量して第一期としては、日野川合流点より上流部を6業者に準備命令を出した。


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