九頭竜川流域誌


1.3 昭和時代

 砂防事業は、戦前より県の直営施工で実施され、第二次世界大戦中も資材の入手が困難であったが、流路工事を細々と続けた。戦後、荒廃した国土の保全と災害の防除は、国の復興のために重要なものとなり、砂防事業の重要性が認識されはじめた。そのため、県では昭和29年(1954)に河港課より独立して砂防課を設置した。また、古い歴史をもった大野砂防事務所は事業執行態勢の変化にともなって廃止された。これを機会に、真名川総合開発事業において、雲川上流の流出土砂を扞止するため、雲川ダムに砂防堰堤をも兼ねさせるなど事業計画の拡大が進められた。
 また、砂防工事の内容は、明治時代からよく作られてきた割石積堰堤が、大正年間に入りセメントが普及するに従って、玉石コンクリートやコンクリート堰堤に変わった。堰堤形式も、適地にはアーチ式堰堤を採用するようになった。また、貯水機能を具備した砂防堰堤も建設されるようになってきた。
  昭和初期における砂防事業の1例として、文室川の砂防事業を以下に紹介する。
  文室川筋砂防直営工事は、昭和16年(1941)度の国庫補助臨時部第1号砂防工事で、文室川筋の味真野の追萩僧谷地係(現武生市)に建設する砂防堰堤を県の直営で施工したものである。工事に関係する者は、永年にわたり大野砂防事務所の現場で働いていた約30人と地元から男女約30人を雇った60人余であった。
  昭和15年(1940)度に調査測量設計を実施し、翌16年5月から17年3月末までの工事期間で施工を行った。
  工事の概要は次のとおりである。

構 造 本堰堤、副堰堤とも玉石コンクリート
本堰堤 延長76m、高さ水通し以下8m、上袖高さ3.3m、底幅5.9m、
天端幅1.9m、袖天端幅1.24m
副堰堤 延長22.5m、高さ水通し以下3m、上袖高さ3m、底幅1.8m、
水通し天端幅1.2m、袖天端幅0.6m
水叩き 長さ12m、幅13.1m、厚さ1.0m
工 費 54,942円

 工事に使用する砂や玉石は現地で採取し、砂利は業者から購入した。セメントは南越鉄道で五分市駅まで運び、そこからはトラック輸送で文室の集落まで運搬し、それより約1kmの道は朝出かける人夫に1袋につき10銭を渡して背負いで運ばせた。コンクリートは、すべて手練りで、木製のセメント桝や竹製ザル籠を使用して運び仕上げられた。


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