九頭竜川流域誌


5. 近代
5.1 河川法の成立と農業用水

  明治29年(1896)に河川法が公布され、一元的かつ体系的な河川流水管理の法制度が整えられた。それは、第1に公水主義の原則を明確にしたこと。第2に公水主義の原則に基づいて、行政庁による河川事業の実施義務が明らかになり、国と地方との責任範囲の基準を明確にしたこと。第3には水利権制度を新しく設けたことである。
 それまでも、自普請の堤防工事や用水工事にあたっては、地方官の許可が必要であるとされていたが、それを具体的に法文化し、水利権制度として明確になった。
  新田開発の進行によって河川の表流水は、希少な資源となりつつあり、各地で水争いが起こり、水の配分をめぐる村々などの対立があちらこちらでみられた。結局は、力関係の均衡を基礎とした社会秩序を形成することによって、水の配分関係を成立させざるを得なかった。すなわち、用水慣行の成立である。
 河川法の成立によって、河川水の利用にあたっては河川管理者の許可を受けなければならなくなった。しかし、「既存する水利は法によって許可を受けたものとみなし・・・」といった規定をもとに慣行水利権が発生した。この権利は、個人に分割された私的権利ではなく、用水団体が持つ共有の権利となった。このようなこともあって、水利秩序は守られるようになり、水争いも少なくなっていった。



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