九頭竜川流域誌


5.2 水利組合の成立

  明治41年(1908)、水利組合条例に代わって水利組合法が定められた。水利組合を普通水利組合と水害予防組合の2種類とする点では旧条例の規定と何ら変わらないが、普通水利組合は灌漑排水に関する事業のために設置すると改められた。
  しかし、農商務省の所管である耕地整理法が、翌42年に新耕地整理法となり、新たに耕地整理組合の設立の道を開いた。すでに、内務省所管の普通水利組合が存在するにも拘わらず、新たに耕地整理組合制度が生まれ、灌漑排水に関わる2つの団体法が併存することとなった。普通水利組合は管理団体、耕地整理組合は事業団体といったように、両組合の性格はおおむね区別されて業務を遂行していった。
  明治時代末における九頭竜川流域の水利組合数は、足羽郡11組合、吉田郡10組合、坂井郡24組合、大野郡4組合、今立郡5組合、丹生郡4組合、南条郡6組合であった。
  その内容は、灌漑排水などの土地保護に関する事業を行う普通水利組合と、水害防御のために堤防修築、河川の浚渫、水閘の修築保存などの工事を行う水害予防組合の2種類に分かれたが、末端用水の運営は旧来の村か集落、井組などが担当して慣行に基づいた「申し合わせ組合」を存続させた。
  一方、耕地整理法が改正されたのを契機に、耕地整理調査設計および工事管理に関する業務が県に移された。福井県では明治・大正時代に耕地整理の着工地区が219地区、面積8,500町歩(8,429ha)に及んだ。
  これらの水利組合および耕地整理組合は、戦後多くが土地改良区に組織変更していった。



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