九頭竜川流域誌


6.4 福井臨海工業用水

(1) 福井臨海工業地帯の概要
 臨海工業地帯造成計画は、昭和43年(1968)3月、福井県の基幹産業である繊維工業の高度化を推進するとともに、重化学工業の育成を図り、福井県における工業の生産力を高め、あわせて県民所得を向上させる目的で、三里浜に造成する計画が登場した。翌44年(1969)9月には、福井港の建設、工業団地の造成、住宅用地・産業道路・工業用水道等の施設整備などを盛り込んだ「福井臨海工業地帯造成計画書」(マスタープラン)が県議会に提出された。この計画については、県議会や県経済界でさまざまな意見が出されたが、同年12月に中部圏基本開発整備計画に盛り込まれ、テクノポート福井として着々と実施に向かって動き始めた。
  昭和45年(1970)11月、北陸電力福井火力発電所建設の起工式が執り行われ、翌年には福井港が重要港湾指定を受け、運輸省の第4次港湾整備5ヵ年計画に組み込まれ、港湾建設が推進されるようになった。一方、工場立地の具体化が図られ、昭和47年(1972)2月にアルミ精錬・加工を中核とした関連産業の誘致が進められることとなった。
  福井テクノポートでは、昭和53年(1978)9月の福井共同火力発電所の操業を契機として、石油基地や金属・化学工場などが次々と進出し操業を始めた。
(2) 工業用水の水利使用量
 臨海工業地帯で使用する工業用水は、昭和47年(1972)改定のマスタープランでは1日給水量が約140,000m3(1.62m3/s)、1日の取水量を約150,500m3(1.742m3/s)と想定されていた。臨海工業用水事業は、昭和48年に建設事業に着手した。県企業庁はこの水源を九頭竜川表流水に求め、河川管理者である近畿地方建設局に水利使用許可を昭和52年(1977)3月に提出した。
 このとき、灌漑用水と共同取水することで26の水利組合・土地改良区との間で合意を得ていたので、近畿地方建設局は、江上取水口地点より下流右岸の既得水利権の水源転換による転用水量を水源とすることで許可することとした。すなわち、高江・安沢・木部新保の揚水機を廃止し、水源転換を図るよう地元と調整することを条件とした。
  臨海工業用水道は、水利権を昭和53年(1978)に得て、4月から一部営業を開始した。その後、経済情勢の停滞や産業構造の変化に伴い、工業水量の見直しを行い昭和59年(1984)11月には事業規模を100,000m3(1.16m3/s)に縮小した。さらに、江上取水口の対岸に位置する繊維工業団地より、地下水の塩化物イオン濃度の上昇による水質悪化に対処するため、工業用水受水の要望があり、繊維工業が福井県の主産業であり、健全な発展の見地から工業水道給水区域に編入した。平成10年(1998)現在の水利権量は、0.39m3/sとなっている。
(3) 取水口
  臨海工業用水は、取水口位置を九頭竜川河口より13.3km上流の福井市江上地先(江上取水口)に求め、昭和53年(1978)4月から取水を開始した。取水にあたっては、農業用水を含めた取水樋門を建設し、用水の合理的配分を図ることとなった。その後、河川形状の変化等により、渇水期には塩水遡上が認められ、水質の低下を来すこととなった。
 そのため、昭和57年(1982)4月から渇水期に塩水遡上の影響を受けないよう、江上取水口より約6km上流の舟橋地点に補助取水口(舟橋取水口)を建設することとなり、翌年10月より取水を可能とした。舟橋取水口は、江上取水口の塩水濃度が高くなったとき、ポンプで揚水して江上地先まで送水することとなっている。
図3.2.4臨海工業用水施設給水区域図


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