かつて九頭竜川下流には、三つの主な幹線用水の取入口があった。右岸には鳴鹿から十郷用水と、五領ヶ島から河合春近用水、そして対岸の志比堺から芝原用水を取入れていた。十郷用水は181ヵ村からなり、その支配面積は7万9千石、4,300町歩(4,264ha)で、河合春近用水は42ヵ村からなり、その支配面積は2万6千石、1,300町歩(1,289ha)、また芝原用水は63ヵ村でその支配面積は4万石、2,200町歩(2,182ha)であった。それにその他の用水と支川関係を加えた総支配面積は1万町歩(9,917ha)に達していた。
この三つの幹線用水は九頭竜川を挟んで、福井平野を潅漑する大規模な用水であって、福井県でも他に比類がなかった。ところがこの三つの用水の取入口が接近しているため、渇水時には3用水に対して十分に分水することは容易なことではなかった。
この三つの用水のうち芝原と河合春近はその大部分が福井藩領であり、特に芝原用水は福井城下の上水として藩の直轄用水となっていたため、管理は極めて好都合であった。これに対し、十郷用水は丸岡藩領をはじめ幕府領・福井藩領・旗本領が錯綜していたため、この管理は非常に複雑であった。そのうえ、他の二つの用水の上流に取入口を設置していたので、この大堰所の築造如何は直ちに下流の用水の取水に直接影響するため、利害相反するこの両者の間には大堰所の築造を巡ってしばしば対立することがあった。
福井藩では、用水掟書を定めて管理にあたったが、その要旨は次のとおりである。
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村々で発生した用水紛争は用水奉行が取り扱うこと。 |
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新たに道路を建設したり、江川を付け替えたり、勝手に水門を作って用水を引いてはならないこと。 |
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古くから定められた分水を守り、勝手に盗み水をしているものがいれば捕まえて吟味のうえで処分すること。 |
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江筋には3尺(91cm)の土揚場を設け、立木を植えたり、勝手に江幅を改めてはならぬこと。
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