九頭竜川流域誌


4. 足羽川
4.1 足羽川左岸の用水

  足羽川左岸上流の徳光・六条・脇・毘沙門の各用水は、江戸時代以降、水量・水路ともに密接な関係をもっていたため、江料米・人夫賃・工事負担金・水路の専有権などについて争いが絶えず、訴訟事件がしばしば発生した。
  六条用水は足羽川に取水堰を設けずに取水し、不足分を徳光用水の「洩れ水」箇所から補給していた。脇用水は、徳光用水から無償分水されるが「ヲサ300石」の灌漑の分は、六条用水路を使用して送水していた。毘沙門用水は、徳光用水の「洩れ水」を買って(年限60匁、明治になって3円)六条用水と脇地係に江料を支払って灌漑していた。
  このような用水システムになっていたため、明治9年(1876)に六条と脇は江敷地米の件にて訴訟事件を起こし、さらに明治15年(1882)に六条から脇のヲサの件について、県令宛の嘆願書が出された。また、同15年から4ヵ年にわたって毘沙門と六条との間に訴訟事件が発生した。
  明治42年(1909)、足羽川改修に伴い徳光用水水閘と六条用水水閘を合同すべく郡長の斡旋で調整が進められ、同年に合同する契約に調印がなされ、「河川改修附帯工事用水水閘造設」として県費で施工された。それ以後、六条用水は徳光用水取水口から取水した水を分水して灌漑するとともに、洩水箇所からの助水費として毎年50円を徳光用水に支払うこととなった。
  徳光用水と六条用水との合同水閘は、明治43年(1910)4月に始まり8月に完了した。このことによって徳光用水が足羽川左岸の幹線用水となり、六条用水、毘沙門用水を包含することとなった。



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