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表4.1.5 底喰川の排水設備 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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排水機は、福井市下水道部において一元的に管理・操作されている。 |
(2) | 治水計画の概要 |
底喰川は、昭和46年度から53年度にかけて、日野川合流点より上流の630m区間を小規模河川改修によって暫定改修を実施した。しかし、昭和51年(1976)9月の豪雨によってJR北陸本線より西方の広い範囲が浸水し、大きな被害となった。そこで、昭和54年度からは、中小河川改修によつて合流点から5.88kmの区間の改修計画を立て、平成5年度までに合流点より上流3kmを完成させた。 しかしながら、川幅が下流部で15〜25m、上流部で5〜10mと狭く、疎通能力が下流部で約50m3/s、上流部で約20m3/sと少ないため、1時間に30mmも降れば氾濫し、広い範囲が浸水する。そこで、市街地の拡大による流出増を考慮し、超過確率1/50年で改修計画を立て、事業推進を図ることとなった。 当面は、時間雨量50mm、超過確率1/12年の規模で、日野川合流点からJR北陸本線までの5.88kmを暫定改修し、その後に下流側より計画河床まで掘削を進めることとしている。 |
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(3) | 事業の効果 | ||||||
底喰川は、福井市街地の中心部を貫流しているため、治水安全度を超過確率1/50年として事業を実施することによって、約440haの区域内の家屋2,400戸、42病院、10学校などの公共施設や約150haの田畑が氾濫による被害から守られるなど、極めて大きな事業効果が期待できる。 | |||||||
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(4) | 改修工事の概要 | ||||
底喰川は、福井市の西北部を流れる河川で、明治時代に改修されたが、福井大震災による地盤沈下により日野川への自然排水が十分できなくなった。そのため、災害復旧予算をもって昭和26年に福井県農林部が12.7m3/sの内水排除能力を有する排水機場を設置した。このとき、Φ1800×2連の樋管が設置された。 しかし、昭和28年頃に乾徳下水排水機場が完成した後、下水処理水と雨水とが底喰川に排水されるようになったため、豪雨時には底喰川の流量が急激に多くなり、低地一帯が浸水することがあった。その原因としては、日野川への自然排水が困難となったほかに、底喰川の川幅が狭く蛇行していたため、流下能力が小さいことが大きな要因であった。したがって、河川改修と併せて日野川合流点の排水ポンプを増強することが緊急の課題であった。 底喰川の改修は、都市下水路事業と併せて川幅の拡大、ブロック護岸工事などを施工することとなった。また、施工にあたっては九頭竜川鳴鹿堰堤土地改良事業、地盤変動対策事業、福井石川特殊排水事業等とも併せて実施することとなった。このようにして河川改修は進められたが、日野川合流点に設置してある樋門の断面が河道と比べて著しく小さいこと、内水排除ポンプ容量が少ないことで、それらを早急に改善する必要があった。しかし、福井市では事業負担が大きく、福井県へ管理移行について調整を進めた。 |
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(※西藤島村史 p.722〜725) | |||||
その結果、底喰川は昭和41年(1966)3月に、県管理の一級河川に編入された。 なお、大正13年(1924)に底喰川改修碑が建立され、現在京福電鉄三国線の西福井駅近くに建っている。碑文には、明治時代に改修された経緯が刻まれている。 |
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改修碑の碑文は、次のとおりである。 | ||||||||||
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