揖保川の歴史

その昔、応神天皇が養父郡関宮町と鳥取県の境にそびえる氷山に登り、谷川の水をすくい上げるとたちまち氷になった、というエピソードから昔は氷川と呼ばれていた「揖保川」。

その高い水質は、流域の人たちの生活や産業の振興に大きく貢献。流水を動力源とした水中製粉や、高瀬舟によって素麺や醤油といった産物の輸送などが盛んに行われてきた。しかし加古川と同様に洪水が何度も起こるため、流域で暮らす人たちの悩みの種でもあった。

そんな状況を打破したいと、立ち上がった1人の男がいた。彼の名は岩村源兵村行。彼は、私財を投じて余部の堤防に松の木を980本も植えたという。洪水の被害から地域を守りたい、という強い想いがそうさせたのだろう。そしてその想いは確実に積み重ねられ、今日に至っている。


1573~1592
天正年間

龍野に醤油産業が興る

江戸初期には龍野藩の奨励で、多くの酒屋が醤油製造に転業。1655(承応4)年にはヒゲタ醤油が本格的に生産されるようになり、1703(元禄16)年、50石前後が醸造されるにいたる。

1586~1595
天正14~文禄4年
(推定)

揖保川・片吹に水路を開削

龍野城主・木下勝俊が、乳母の願いを聞き入れ、揖保川の岩見堰に穴を開け、片吹(現 たつの市誉田町)に水路を開削。この水路のお蔭で、乳母の故郷・片吹は救われ、村人に「姥が穴」として伝承される。

1621
元和7年

網干から山崎町までの舟運開始

播磨国宍粟郡山崎町の龍野屋孫兵ヱが莫大な私財を投じて、揖保川に水路を開き、網干から山崎町出石浜までの舟運を通じさせる。川の両岸には回船問屋・倉庫などが軒を並べ、明治の中頃まで繁盛する。

1671
寛文11年

龍野に舟運の番所

揖保川を行き交う高瀬舟に対して、その取り扱い奉行が任命され、龍野に番所が設けられる。運行できたのは毎年9月1日から翌年の6月10日までで、農家が取水する6月11日から8月31日までは川止めとされていた。

揖保川・林田川 用水絵図
<揖保川・林田川 用水絵図>
年次:天和3年(1683)たつの市立歴史文化資料館蔵

1688~1704
元禄年中

水害対策の余部の千本松

上余部村(現 姫路市余部区)の庄屋岩村源兵ヱ村行が、揖保川の洪水被害を防ぐために、私財を投じて、余部の堤防に松の若木980本を植える。

1804~1817
文化年間

素麺の製法が伝わる

神岡町(現 たつの市神岡町)の森崎忠佐ヱ門らにより、三輪地方から素麺の製法が伝えられる。冬場の農家の副業として揖保川流域で発展。質の良い播州小麦と赤穂の塩、揖保川の伏流水、雨の少ない瀬戸内気候など、すべてが素麺作りに好条件であった。

1949
昭和24年

龍野町(現 たつの市龍野町)等において、畳堤の整備に着手。
(リンク:畳堤

1953
昭和28年

播磨工業地帯に向け、引原ダム建設工事に着手

揖保川総合開発事業を策定。揖保川では、洪水被害を防ぐとともに、水資源の有効利用を図るために総合開発事業に取り組み始めた。同じく昭和28年には、兵庫県により、引原ダムの建設に着手し、昭和33年に完成したのち、運用されている。

1966
昭和41年

国の管理へ

昭和39年に改定された新河川法に基づき、揖保川が一級水系に指定される。これは、国土保全、国民経済の上で特に重要な水系を建設大臣が指定し、管理を行うというもの。昭和39年に新宮町、龍野市などで床上浸水という被害をもたらした大洪水がおきたことも起因している。

1970
昭和45年

8月21日の台風10号では、揖保川上流域に200mmを超す豪雨を記録し、沿川各地に甚大な被害をもたらした。

1976
昭和51年

台風17号の大惨事

昭和51年9月の台風17号は、兵庫県下に大雨を降らせ、揖保川の上流の宍粟郡一宮町で、山崩れを起こした。この山崩れは、小学校などの公共施設や民家40戸あまりを押し流す大惨事となった。

1990
平成2年

神河橋流出

9月18日には揖保川の水があふれ、宍粟郡一宮町で100世帯が、高砂市でも230人が集会所や学校などに一時避難。神河橋が流失し、床上・床下浸水などの被害も甚大。

神河橋流出写真
<神河橋流出 台風19号災害>
年次:平成2年(1990)

1997
平成9年

河川法に「環境」

新河川法の改正により流域住民のより安全、快適な暮らしに役立つよう施設を管理。桜づつみモデル事業や清流ルネッサンス21事業などを通じ、河川敷も流域住民の憩いの場、やすらぎの水辺空間として河川環境整備事業を実施中。

2004
平成16年

平成16年は数多くの台風が日本本土に上陸し、各地で大きな被害をもたらした。揖保川では、8月31日の台風16号の影響で22戸の浸水被害が発生した他、9月29日の台風21号の影響により、支川栗栖川において、堤防越流による浸水被害が発生した。

2009
平成21年

8月9日の台風9号の影響により、兵庫県北西部において記録的な大雨がもたらされた。揖保川では上流域を中心に甚大な浸水被害がもたらされ、下流域の龍野水位観測所においても、戦後最高となる水位3.97mを記録した。